石川ひとみ ナベプロ・プロデュースの間違い

 歌手石川ひとみを考える上で、所属事務所であった渡辺プロダクションの問題を取り上げないと、見えるものも見えなくなるでしょう。
 本人の実力が記録として表れるアスリートとは違い、芸能人は所属事務所どうし、あるいはマスメデイアとの力関係や、プロデュースの優劣が大きくものをいう。

 ひとみ陣営の皆様や多くの関係者の方々の懸命な努力に対して敬意を払うにやぶさかではありませんが、他の陣営も必死にやっていることですから、それは当然の前提、ナノダ。
 それで、大ナタを振るようで粗雑な物言いになりますけれど、ナベプロの「プロデュース&プロモーション」が、駄目だったかな...、と。

 歌手石川ひとみには(あまりヒットしなかったけれども)良い曲がたくさんあるね、という声が多い。
 けれどもはっきり言って、チョットチョット!という歌も、かなり...あるな...。


 私が見ているのは、石川ひとみの歌の歌詞だけですので、どうしても作詞家を批判しているように受け取られてしまいますが、そういう意味はほとんどないですね。

 結論から言ってしまえば、なぜそのような歌詞を書かせるのだ?ということです。

 そして、それで良しとして曲をリリースするプロデュースのありかた。

 
 その理由を知りたいので、つい1昨日、ナベプロの歌手プロデュースを統括していた松下治夫の回顧録を取り寄せて読んでみました。

 資料的な価値はほとんどない聞き書き本でしたが、内実を伝える部分が散見しますので、少しピックアップしておきます。

渡辺プロダクションには大御所と呼ばれる一流の作詞家や作曲家、アレンジャーなどが集まっていた...
 よく、渡辺プロダクションの音楽は統一した色がある、と言われたものだが、これはやはり渡辺晋の音楽哲学によるものだろう。
 社長がこだわっていたのは、ただ一点。大衆のニーズに合わせた歌を作る、ということ。これは、鉄則だった。

 そして、アーティストのキャラクターに合い、それを生かす音楽、衣装、パフォーマンスであることを社長は求めた。
 どれか一つでも合っていないと、社長はダメ出しをした。


 以上は、渡辺プロダクション創成期から成長カーブを保っている間の、美しい追憶ですね。

 どのような企業でも成長している間は、当初の理念が輝いている。けれども、企業というのは、上手くいけばいつか必ず創業者の器を超えて行く段階に達する。


 ここが創業者の正念場で、総合プロデューサーの立場を離れて、経営者として変身していくか、あるいは経営のプロを迎え入れるという選択を迫られます。

 社長の渡辺晋が選んだ道は、総合プロデューサーとして、もっと頑張るという、正しい選択のように見える破綻の道でした。

 組織が大きくなって、掌握出来なくなってくると、もっと頑張ろうと...

 かのダイエーを築いた中内功は、エスカレーターに乗って一階から最上階まで行くだけで、各階の販売体制の問題点を、見えないような隅のことまで指摘したといいます。その中内功でさえも、時代の波に取り残されていきました。

 渡辺晋もまた、しかり。

 松下は「病魔に冒されたということもあった。自分が働けるうちに、もう一度結束を固め、会社を盛り立てようと必死になったのではないだろうか。」と記している。

 「そして実際、毎週会議を招集し、すべての事柄にますます関与するようになった。

 そうした必死とも言える努力は、結局のところ逆効果にしかならなかった。息苦しさを感じたマネージャーたちがどんどん会社を辞めて独立していった。

 社長は制作会議でも自分が納得しないとダメな人だった。


 歌詞まで自分で直してしまうこともよくあった。

 ぼくなんか横で見ていて、やりすぎじゃないかと思うこともしばしばだった。

 (「それはスタッフを教育する目的で、こまかく口をはさんでいたのだ」と、松下治夫は記している)


 私が、石川ひとみの歌詞だけから推測したことと、ほとんど差異はないと思います。

 当時のナベプロのやり方は、音楽学校を各地に開いて、優秀なタレントを発掘してオーディションに送り込み、話題を集めて新人デビューさせるというやり方をしていました。

 歌番組全盛時代ですので、タレント育成ビジネスとしては先駆的だったかと思います。

 ただし、

 雨後の竹の子のように新人デビューラッシュ時代でしたから、速成濫造になっていったことは否めない。粗製濫造とは申しません、が。

 それというのも、歌手の人数が多すぎて、マネージャーやプロデューサーは全くの人材不足状態にあったわけです。

 不足していたのは作詞家、作曲家、アレンジャーも同様で、常識では考えられないほど短時間で歌詞を作ったり、作曲したり...。


 芸能界という個性的才能を競う世界では、「キャラクターを確立すること」は最大の課題となっています。

 俗に「キャラ立ち」といいますが、「この人はこれ」というある意味の差別化であり、コーポレイト・アイデンティティー(CI)であるわけです。


 ところが、ナベプロには、タレント(=能力)の最善のものを発掘し、育て、戦略的にアッピールしていくだけの余力が無かったのかなと、私は思います。

 モノにたとえれば、大規模メーカーではあったが、販売力が弱かったわけです。

 帝国といわれたナベプロが凋落していく時期に、石川ひとみが所属したことがその運命を左右したと。

 ナベプロの売り出し方は、はっきり言って「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」式の、ベルトコンベア路線だなと思いました。

 もちろんやっている現場の人たちは一所懸命ですし、持てる力を絞り尽くしてやっていることは当たり前のことです。

 けれども、やっていることの結果は、確固としたプロデュース戦略と周到なマーケティングで裏打ちされたものではなかった、ようにしか思えないということですね。


 石川ひとみの歌にはアイドル系のものと、大人の女系の歌とがくっきりと分かれています。

 これは、スプリット・テスト・マーケティングリサーチをやっているのでしょうか?


 スプリットテストというのは、具体的に言えば、大輪茂男がやったような両極端のものを提示して、ファンはどちらを好むかを判定し、支持されるものについて、別の要素で両極端を提示しどちらを好むかを見極める、というやり方です。

 ひとことで言えば二者択一を繰り返して、最終的にファンのニーズ&ウオンツあるいは求めるものをはっきりと把握するという方法ですね。

 
 大人の女系「歌唱力のある歌手」としてデビュー(右向け右)したが、期待した反響を得られず、一気に少女っぽい歌(くるみ割り人形)に切り替え、さらにまた期待を裏切って女の歌(ひとりぼっちのサーカス)、と軸がぶれ続けたように見えます。この点については、改めて検証してみたい。

 石川ひとみは、声の質、歌唱力、ルックス、アイドル性と、すべての面でレベルが高かったために、高校を卒業して上京し、わずか2ヶ月で歌手デビューというタイトなスケジュールでした。

 もちろん、全くのゼロから2ヶ月でプロフェッショナルな歌手を速成出来るはずはなく、デビューが決まった時点で、レッスンはスタートしているわけです。

 けれども、他の歌手がスクールメイツなどで下積みを経験しているのに対して、石川ひとみは最初から「新人セクション第一号タレント」としてスターに準ずる特待生でした。同期で、次にデビューする桑江知子ら他の新人たちとは待遇が違っていました。

 彼女の後にも、修正や仕上げ加工をしてブラッシュアップするタレントが続々続いており、まさにベルトコンベア方式で、タレントを速成濫造していく時代的な波があったわけですね。アイドル全盛時代という。

 次に紹介するのは、石川ひとみのレコード発売年譜です。クリックすると読みやすい画面がでます。

single.gif

 これだけを見ていても分かりにくいかもしれませんが、子細に検討してみると、一言で言うと良くないな、と思います。プロダクションの売り出し方がいかにもちぐはぐな印象をファンは感じるでしょう。

 どう解釈していいのかと...

 一貫性、あるいは「石川ひとみ」らしさはこれだというものが見えてこない。

 というより、下手な鉄砲のめくら打ちという感じです。

 戦略的な集中と選択が見えてこないと思います。(曲も、ひとみちゃんの歌も良いのですが)

 少なくとも、マーケティングの戦略が間違っているとしか、言いようがないですね。


 たしかに、第一次のアイドル群がアイドル脱皮をして、大人の歌を歌い始めた状況がありましたが、大人の歌からスタートするアイドルはいません。高校卒業してすぐの女の子ですよ。

 アイドルはアイドルの時期を経てから、大人の歌を歌うようになるのが、自然でしょう。

 ちょうどこの時期に、アイドル・ウエーブ第二波として登場した石川ひとみは、頭抜けた歌唱力を持っていましたので、アイドル脱皮したお姉様たちの流れに加わろう、という意図があったのかもしれません。

 たとえば、「右向け右」や「オリーブの栞」を書いた三浦徳子さんは、松田聖子のデビュー曲から、これだけの歌詞を提供しています。

  「裸足の季節」

  「青い珊瑚礁」

  「風は秋色/Eighteen」

  「チェリーブラッサム」

  「夏の扉」

 アイドル正統派の曲ばかりです。一つくらい、石川ひとみに回してよ、と言いたくなりますね。

 三浦徳子は同時期に松田聖子にアイドル歌を書いていたために、石川ひとみにはそれとは競合しない歌詞を書いたのか、あるいはナベプロの要望に添ってまみれ系の歌詞を書いたのか...


 洒落た歌を書くのが得意で、言葉にベールを被せてチラリズムの美学を持っていると思える岡田富美子さんも、ナベシンに「石川ひとみを何が何でもオナペットにしろ」とハッパをかけられて、あんな歌詞(『秋が燃える』)を苦し紛れに書いたのではないか?

 「ひとりぼっちのサーカス」でも、同様のことがあったのではないか、という疑問が残る。

 (デビュー曲から一人ぼってのサーカスまでは大輪茂男のプロデュースで、振り子路線を意図的に演出したそうですが)


 ナベシンは「大衆に受けることを鉄則とした」と。しかし、時代は次第に「大衆」という十把一絡げで捉えられた時代から、今日のような「One to One]コミュニケーションへとシフトしつつあった。


 オナペットは別の肉体派女優とか、石川ひとみファンは石川ひとみにしかない魅力を求めていた、ということが見えなくなっていたのではないか、と思います。

 歌手のイメージを大事にしてきて、天地真理、キャンディーズ、小柳ルミ子らに純潔イメージを徹底して守らせたのに、なぜ石川ひとみちゃんがセクシー路線なのか?

 それは、ナベシンが病気をしたり、組織全体のタガがゆるんで、有能なマネージャーたちほど早々に去っていき、とうとう右腕として制作総合プロデューサーだった松下が1981年に去っていった...

 そのような混乱と崩壊の時期に、石川ひとみがナベプロに入り、渡辺晋の目が行き届かなくなり、エンターテインメントの哲学が徹底しなくなった、あるいはレコード会社側のプロデューサーがアーチスト感覚を増大していったか、ということになるでしょう。

 松下治夫はナベプロの輝かしい面を回想していますが、辞めた後のことには触れては折らず彼の本からは情報は得られません。


 私はもとより芸能ニュースには無関心で、その手の雑誌も目にはしても読まない、24時間仕事に頭を使っている人間でしたので、事情には疎い。しかも、NHK-BSしか映らない僻地にいた時期でしたので、レコードを通じてしか石川ひとみを聴くことは出来ませんでした。

 ですから、彼女の歌を聴くだけの判断材料で彼女のスタッフは戦力不足だな、という印象を持っていました。石川ひとみという一級の素材を、生かし切れていない、という不完全燃焼感を時には感じていました。

 この認識は、現在でも変わりません。


 『まちぶせ』以降のプロデュース戦略

 歌手のプロモーションに限らず、勢いのあるうちに土台を強化することと、複数の柱となるものを用意すること、が重要になってきます。

 『まちぶせ』は、それまでバラバラに偏在していたファン層の最大公約数を掬(すく)い取ると同時に、女性ファン層を開拓しました。

 これは、松田聖子陣営が戦略的に『赤いスイートピー』+ラジオ・パーソナリティーで仕掛けたものと違い、結果としてうまくいったというものではなかったかと思います。

 かつて、三木聖子で売れなかった「まちぶせ」を、石川ひとみがカバーで出すことを否定した首脳陣は、過去の成功体験・失敗体験に捕らわれて、時代状況と歌手の持っている潜在能力を的確に見ることが出来なくなっていたのではないでしょうか?

 松田聖子の場合は、はじめにストーリーを描き、シナリオに沿って、自分のライフスタイルを演出して、ファンを巻き込んでいくという優れた戦略が感じられます。

 それに対して、歌手石川ひとみのプロデュースには、ストーリーが存在しない。

 これまでの、ちぐはぐなシングル・リリースを見れば、はっきりと分かります。

 LPを聴いてみますと、それぞれの時点でのテーマを決めて、まとまっているのですが、そのテーマを並べると、やはりちぐはぐになる。ストーリーが鮮明に見えてこないですね。

 『まちぶせ』の次が難しいというのは、『くるみ割り人形』派のファン、『ひとりぼっちのサーカス』派、に加えて『新たな女性ファン』層をどう固定化していくか、という難しい舵取りを強いられるからです。

 こういう事は、ストーリーを想定して、段階的にやっていけば難しくはならないのですが、やってこなかっただけに難しいということです。


 ストーリーを描くというのはどういう事かといいますと、たとえば私がやるとしたら...

アイドル期のテーマ 「石川ひとみ、妖精の旅立ち」

デビュー曲 『くるみ割り人形』...永遠に純粋処女のお人形、未熟な少女的夢の世界

2nd single 『きみは輝いて天使に見えた』...可愛い妹、大学生の先輩と女子校生の淡い恋

3ird single 『ハート通信』...失恋の予感

4th single 『鮮やかな微笑み』...失恋の悲しみ

5th single 『夢番地一丁目』...恋の追想

6th single『にわか雨』...淡い恋心の始まり

7th single 『まちぶせ』...美しき青春の過ちと愛の始まり

 最初の2曲はニュートラルでイノセントで、男の子も女の子も応援したくなる曲です。

 これで、若い子、おじさん、女性層を開拓する。



 『ハート通信』では、フォークやカレッジポップ系を取り込み、『鮮やかな微笑み』でアダルト層を引きつけて、『夢番地一丁目』をノードにして、『にわか雨』を次の曲の伏線として置き、 『まちぶせ』で一気に解放する。
     (ノード:いくつかの流れを一本化する合流点)

 こういうのをストーリーといいます。

 このような一連の流れがあれば、ファンが離れず、雪だるま式に増えていくわけです。
 それをやらずに、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、という印象をファンが感じるやり方をプロダクションがやってきた。

 一生懸命やっているのでしょうが、スタッフが経験と勘だけでやっているからでしょうね。

 ですから、歌手石川ひとみが一発屋といわれますが、それはプロデュースが山師的だった、ということなのです。あれこれ、売れそうなことに次々手を出して、一貫性のある視点がなかった。

 渡辺晋の時代感覚が鈍り「スターは戦略的に作り出すもの」という時代の流れに、遅れをとった、と。

 ここまで書けば、一発屋だという評価は、歌手石川ひとみの資質でも責任ではなく、ひとみ陣営の問題が大きいのだ、ということが多少なりとも伝わるのではないかと思います。


 石川ひとみの歌が下手なものだったのか、それともブスで可愛くなかったのか、それともあばずれ女で仮面がはがれてファンが引いてしまったのか、あるいはパッとスポットライトを浴びてすぐに結婚引退とか失踪事件とか起こして消えたのか?

 そういうことは全くない。

 であるならどこに問題があるのか考えれば、売れる売れないはプロデュース戦略の可否によることぐらい理解できるはずです。



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