石川ひとみの小学校時代。
明るくて、行動的で、ちょっと負けず嫌い。
女の子らしいところは少しもなかったけれども、天地真理にあこがれて歌手になろうと思った、そうです。
元気な女の子、ひとみちゃん近所の男の子とケンカしたり、気の強いところもあったそうで、積極的で根性がありそうな子ですね。
お母さん
「小学校低学年の頃になると、多少はかわいらしい顔つきになってきたんですが、いつもチュウーインガムをかんでて、舌の先でペロッとガムを出したりして女の子らしさなんて全然なかったですねぇ。
ただ、ああ、この子はしっかりした子だなァと思ったことがひとつありました。
小学校一年生ぐらいのときだったか、家族で名古屋空港へいったときのこと。
空港への道がわからなくなって、途中で車を止めて、人に尋ねてみようとしたんです。
そしたらひとみがだまーって車をおりて、近くの家にすたすたと歩いていって、『空港への道はこれでいいんですか』って、ハキハキ訊ねてるんです。
ああ、あんなにおとなしくて人見知りする子だったのに、シンはしっかりしてるんやなァと感心しましたね」
これって、しっかりしているという以上に、親思い、兄思いなのだでしょう。家族愛が豊かだったのだと思います。
石川ひとみ「そんなお母さんに、一度だけすごいお仕置きを食らったことがあるわ。
あれは小学校3年生のときだったかしら。
遊びほうけて、夕方の7時ごろ帰ることが3日ぐらい続いたの。
3日目の夕方、うちに帰ったら家中の戸も窓も全部鍵がかかっちゃてたんです。
私を入らせないように!ショックでした...」
お母さん「ところが、ひとみはだまーって、家のまわりをぐるぐる回るだけで、ドアをドンドン叩いたり、泣きわめいたりしない子だったんです。
私たちが鍵をあけてやるまで、じっと戸の外に立って反省してるんですよ。
そんな子でしたから、叱るってことはほとんどなかったですね」

石川ひとみ
「成績のことは全然ガミガミ言われなかったので、勉強は適当にやってたみたい。
音楽と図工と体育だけはだいたいいつも5でしたけど、あとは......内緒」
正則小学校で石川ひとみの学年は2クラスのみ。ひとみちゃんのクラスは男子が9人、女子が18人と、女上位のクラスだった。
負けず嫌いの頑張りやさん山口弘明先生 (正則小学校5・6年時の担任)の話
「陽気で行動力に富んでいて、ちょっと負けず嫌いなところのある子でしたね。
美和町立のソフトボール大会が毎年あるんですが、6年のときはピッチャーをやっていて、活発にみんなをリードしていましたね。ミスするとカッカしてました。
私も音楽が大好きだったので、よく放課後子どもたちを集めて、器楽演奏をやって遊びました。
私がギターをひいて、ひっちゃんがエレクトーンをひいてました。
印象に残っている曲は『ナオミの夢』なんかですね。アコーディオンなんかも得意でした。
オシャレで、いつも清楚な服を着てました。学級委員で室長を務めたこともあったと記憶しています。」
天地真理に憧れて歌手になった石川ひとみ
「私がなんとなく歌手に憧れるようになったのは小学校5、6年の頃。
その頃、天地真理さんがすごい人気だったでしょ。
私も女の子としては異常なくらい真理さんのファンだったの。
お母さんに頼んでLPを買ってきてもらって、一日中聞いてた。
彼女の出る番組は必ず見てたし、風邪ひいて学校を休んだときなんかは、ひとりで何枚も何枚も天地真理さんの似顔絵を描いていたんです。
中学校2年ぐらいまでずっと天地真理さんに熱を上げてました。
たぶん天地真理さんがいなければ、私は歌手になっていなかったと思う。
だってそれ以前は、歌謡曲なんてあんまり興味がなかったのが、突然狂いだしたんだから。
それで、小学6年生のとき、CBC(中部日本放送テレビ)の『どんぐり音楽会』に出場したんです。この時は南沙織さんの『潮風のメロディー』を歌ったんですけど。これが私のテレビ初出演。
学校では鼓笛隊でソプラノアコーディオンをやってました。
でも、クラスの人の前で歌を歌うなんてことは全然なかったの。
中途半端がキライで、どうせ歌うんだったら、でっかいところでと思ってたの。」
泣きわめいたりしないで、家の外でジッと反省している石川ひとみちゃん、信じられないほど素直な女の子だったのですね。
それにしても、アイドルになる女の子は小学生の頃から可愛いと評判になるようです。
そして、中学生になったひっちゃんは「レコチョクひとみ」状態になります。次回紹介。
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