人見知りの激しいお姫様石川ひとみちゃん、友達と別れて大都会の名古屋に通学する毎日が始まった。
名古屋短大附属高校は校則の厳しい女学校。
妖精の旅立ちは、ストレスもあったようで、一年生の3学期には入院生活も味わっている。
名古屋短大附属高校は校則の厳しい女学校。
妖精の旅立ちは、ストレスもあったようで、一年生の3学期には入院生活も味わっている。
石川ひとみ
「 高校ではクラブにも入らず、新しい友達もあんまりできなかったの。
もっぱら中学時代の親友のFさんと、交換ノートを書くのが趣味でした。
高校は別々だったから、朝、木田駅の自転車置き場においた自転車の、お互いのカゴの中にノートを入れておくんです。
Fさん
「中学時代からひっちゃんとやった交換ノートは20冊くらいになりましたが、全部ひっちゃんが保管してくれてるはずです。
ひっちゃんは、高校時代なかなかのオシャレで、冬なんかは厚手のセーターにスリムなGパンとブーツってかんじで、バチッと決めてました。
『君こそスターだ!』に合格してからは、もっとやせなきゃ、といいながらもプリントかアイスクリームとか、けっこう食べ歩いていました。
詩を書いたり作曲するのが趣味だったみたい」

石川ひとみ
私って、満員電車で押されて通学するのがイヤだったから、朝早く起きて、電車がすいているうちに学校へ行ってたの。
だからいつも誰もいない教室に一番乗り」
Iさんの話
「ひっちゃんはいつも校門の前でパンとアップル・ジュースを買ってから、教室に入るんです。
私は2番目に登校してたので、よく『飲まない?』といってジュースをすすめてくれました。
他に誰もいないときは、岩崎宏美の歌なんかを口ずさんでましたね」
石川ひとみ
「うん、私はリンゴが大好き。それから好きだったものは、プリンとアイスクリーム。
学校の近くにとってもおいしいアイスクリーム屋さんがあってね。
下校の途中で友達とよくたちよったの。そしたらある日、生徒指導の先生に見つかっちゃって。
チンブーっていうアダ名の先生なんだけど、他の子はみんな、
『アッ、チンブーが来たーっ』っていってワーッと逃げちゃったんです。
気がついたら残っているのは私だけ。そういうときにコソコソするのってキライなんですよね。私って。
『おい、石川、そんなところで何してるんだ』っていわれて、
『アイスクリーム食べてました』って答えたら、
『ふーん、そーか』っていって、帰っちゃいました。その先生。
高校時代の友人Nさん
「ひっちゃんて、イザという時には、とっても度胸がいいんです。
体育祭の応援で、本当は私が学ラン着て団長をやるはずだったのに、当日になってサボって休んじゃったの。
後になって聞いたら、ひっちゃんが私のために、誰にも頼まれないのに、学ランを着て応援団をかって出てくれたんです。
それから、クッキーやケーキを焼くのが大好きで、よく動物の形をしたクッキーを焼いてもってきてくれました」
ひっちゃん、度胸がいいというよりおっとりしていて悪擦れしていないというか、少しばかりドンくさいというか、ときどき頑固っぽいところを見せたり、とか...。
ひっちゃんを知る人は、非常に怖がりで気が小さいのだけれど、他者(ひと)のために一肌脱ぐような思い切りの良さがある、と評していますね。
『君こそスターだ!』への道
石川ひとみ
「高一の11月頃から、名古屋駅の近くにある、東京音楽学院の名古屋校に通い始めたんだけど、なんとなく半年ぐらいでやめちゃったの。
どうしても歌手になりたいと思ってたわけではないし、途中、高一の終わり頃十二指腸潰瘍になって入院したり、月謝が急に値上がりしたこともあり...
お母さんにも、
『歌手になるわけでもないんだから、もっと将来役に立つ、お花とかお琴とか習ったら?』なんていわれてね。
ところが、高二の11月頃、渡辺プロの新人オーディションがあるから受けてみないかって言われて、
『フーン、せっかく勉強したんだから、一度ぐらいは受けてみようかな』って、
軽い気持ちでアタックしたら、パスしちゃったんですよ。
それからフジテレビの『君こそスターだ!』のディレクターの熊田さんて人が、名古屋にいらっしゃって、番組のオーディションに出ることを勧められたわけ。
どうせ一週目で落とされるんだからと、これまた軽い気持ちで上京。
ところが、トントン拍子で7週勝ち抜いてグランドチャンピオンに決まっちゃったんです。
(この経緯は、「石川ひとみ、デビュー前後を語る」をご覧下さい。)


それから翌52年の春に『右向け右』で、デビューするまでの一年間、私は普通に高校に通っていました。
『君こそスターだ!』は名古屋では放映されなかったから、クラスのほとんどは知らなかったでしょう」
足立好栄先生(2年時の担任)
「彼女が『君こそスターだ!』に優勝した直後の、高二の3月に修学旅行があったんです。
彼女は番組に出たことを誰にも言ってないらしく、バスの中でマイクが回ってきても、ついにマイクで歌わなかったんです。
だから、クラスの中でも最後まで目立たず、誰も歌手になるなんて思っていなかったんではないでしょうか。
うちの高校は生活指導が厳しかったのですが、ひとみちゃんは、身なりもしっかりしていて、模範的な生活態度でしたよ」
犬が好き Nさん
「高三の時のひっちゃんは、デビューのための準備とか病気とかで、よく学校を休んでたので、ノートは必ず私がとっておいて見せてあげてました。
全科目、何冊ものノートを見て、感激してくれました。
『ベンジー』という映画を一緒に見に行ったときも、すごく感動して泣いていましたね。
ベンジーがとてもお気に入りで、Tシャツやキャラクター商品を集めてたようです。
卒業式の日も涙を流していました。
感激屋さんみたいですね」
ダンスが苦手だった(東京音楽学院時代の個人レッスン担当、鏡味季起)
「石川ひとみちゃんは音域が広く、歌唱力がありました。
ダンスのレッスンもしていましたが、こちらの方は苦手らしく、名古屋のスクールメイツの仕事でも、フリがなかなか覚えられなくて泣いてたこともあります。
レッスンでも、その頃から『まちぶせ』を歌うのが好きでしたね。
男の子にももててたみたいですけれど、彼女の方が関心なかったみたい」
石川ひとみの目と声が気に入った (フジテレビ、ディレクター、熊田共一)
「名古屋のオーディションでは、彼女の成績はA-EのうちCランク。でも生き生きした目と澄んだ声が気に入って、『君スタ』に出させました。
『君スタ』では、練習、カメリハ、本番で各一回ずつを2週間分、計6回歌うのですが、歌うたびによくなっていくんです。
最初のCランクがウソのように、トントン拍子に勝ち進んでいきました」
自分なりの歌唱を持っていた (『君スタ』プロデューサー、石黒正安)
「素人のオーディション番組ではレコードのマネが多い中で、ひとみは自分なりの歌を歌っていたのが光ってました。
普通は合格したら即デビューを考える子が多いんですが、彼女はしっかりしていて、ちゃんと地元の高校を卒業してから、デビューしました。
デビュー後、ちょっと太り始めたのを気にしていたようです」
「 高校ではクラブにも入らず、新しい友達もあんまりできなかったの。
もっぱら中学時代の親友のFさんと、交換ノートを書くのが趣味でした。
高校は別々だったから、朝、木田駅の自転車置き場においた自転車の、お互いのカゴの中にノートを入れておくんです。
Fさん
「中学時代からひっちゃんとやった交換ノートは20冊くらいになりましたが、全部ひっちゃんが保管してくれてるはずです。
ひっちゃんは、高校時代なかなかのオシャレで、冬なんかは厚手のセーターにスリムなGパンとブーツってかんじで、バチッと決めてました。
『君こそスターだ!』に合格してからは、もっとやせなきゃ、といいながらもプリントかアイスクリームとか、けっこう食べ歩いていました。
詩を書いたり作曲するのが趣味だったみたい」

石川ひとみ
私って、満員電車で押されて通学するのがイヤだったから、朝早く起きて、電車がすいているうちに学校へ行ってたの。
だからいつも誰もいない教室に一番乗り」
Iさんの話
「ひっちゃんはいつも校門の前でパンとアップル・ジュースを買ってから、教室に入るんです。
私は2番目に登校してたので、よく『飲まない?』といってジュースをすすめてくれました。
他に誰もいないときは、岩崎宏美の歌なんかを口ずさんでましたね」
石川ひとみ
「うん、私はリンゴが大好き。それから好きだったものは、プリンとアイスクリーム。
学校の近くにとってもおいしいアイスクリーム屋さんがあってね。
下校の途中で友達とよくたちよったの。そしたらある日、生徒指導の先生に見つかっちゃって。
チンブーっていうアダ名の先生なんだけど、他の子はみんな、
『アッ、チンブーが来たーっ』っていってワーッと逃げちゃったんです。
気がついたら残っているのは私だけ。そういうときにコソコソするのってキライなんですよね。私って。
『おい、石川、そんなところで何してるんだ』っていわれて、
『アイスクリーム食べてました』って答えたら、
『ふーん、そーか』っていって、帰っちゃいました。その先生。

「ひっちゃんて、イザという時には、とっても度胸がいいんです。
体育祭の応援で、本当は私が学ラン着て団長をやるはずだったのに、当日になってサボって休んじゃったの。
後になって聞いたら、ひっちゃんが私のために、誰にも頼まれないのに、学ランを着て応援団をかって出てくれたんです。
それから、クッキーやケーキを焼くのが大好きで、よく動物の形をしたクッキーを焼いてもってきてくれました」
ひっちゃん、度胸がいいというよりおっとりしていて悪擦れしていないというか、少しばかりドンくさいというか、ときどき頑固っぽいところを見せたり、とか...。
ひっちゃんを知る人は、非常に怖がりで気が小さいのだけれど、他者(ひと)のために一肌脱ぐような思い切りの良さがある、と評していますね。
『君こそスターだ!』への道
石川ひとみ
「高一の11月頃から、名古屋駅の近くにある、東京音楽学院の名古屋校に通い始めたんだけど、なんとなく半年ぐらいでやめちゃったの。
どうしても歌手になりたいと思ってたわけではないし、途中、高一の終わり頃十二指腸潰瘍になって入院したり、月謝が急に値上がりしたこともあり...
お母さんにも、
『歌手になるわけでもないんだから、もっと将来役に立つ、お花とかお琴とか習ったら?』なんていわれてね。

『フーン、せっかく勉強したんだから、一度ぐらいは受けてみようかな』って、
軽い気持ちでアタックしたら、パスしちゃったんですよ。
それからフジテレビの『君こそスターだ!』のディレクターの熊田さんて人が、名古屋にいらっしゃって、番組のオーディションに出ることを勧められたわけ。
どうせ一週目で落とされるんだからと、これまた軽い気持ちで上京。
ところが、トントン拍子で7週勝ち抜いてグランドチャンピオンに決まっちゃったんです。
(この経緯は、「石川ひとみ、デビュー前後を語る」をご覧下さい。)


それから翌52年の春に『右向け右』で、デビューするまでの一年間、私は普通に高校に通っていました。
『君こそスターだ!』は名古屋では放映されなかったから、クラスのほとんどは知らなかったでしょう」

「彼女が『君こそスターだ!』に優勝した直後の、高二の3月に修学旅行があったんです。
彼女は番組に出たことを誰にも言ってないらしく、バスの中でマイクが回ってきても、ついにマイクで歌わなかったんです。
だから、クラスの中でも最後まで目立たず、誰も歌手になるなんて思っていなかったんではないでしょうか。
うちの高校は生活指導が厳しかったのですが、ひとみちゃんは、身なりもしっかりしていて、模範的な生活態度でしたよ」

「高三の時のひっちゃんは、デビューのための準備とか病気とかで、よく学校を休んでたので、ノートは必ず私がとっておいて見せてあげてました。
全科目、何冊ものノートを見て、感激してくれました。
『ベンジー』という映画を一緒に見に行ったときも、すごく感動して泣いていましたね。
ベンジーがとてもお気に入りで、Tシャツやキャラクター商品を集めてたようです。
卒業式の日も涙を流していました。
感激屋さんみたいですね」
ダンスが苦手だった(東京音楽学院時代の個人レッスン担当、鏡味季起)
「石川ひとみちゃんは音域が広く、歌唱力がありました。
ダンスのレッスンもしていましたが、こちらの方は苦手らしく、名古屋のスクールメイツの仕事でも、フリがなかなか覚えられなくて泣いてたこともあります。
レッスンでも、その頃から『まちぶせ』を歌うのが好きでしたね。
男の子にももててたみたいですけれど、彼女の方が関心なかったみたい」

「名古屋のオーディションでは、彼女の成績はA-EのうちCランク。でも生き生きした目と澄んだ声が気に入って、『君スタ』に出させました。
『君スタ』では、練習、カメリハ、本番で各一回ずつを2週間分、計6回歌うのですが、歌うたびによくなっていくんです。
最初のCランクがウソのように、トントン拍子に勝ち進んでいきました」
自分なりの歌唱を持っていた (『君スタ』プロデューサー、石黒正安)
「素人のオーディション番組ではレコードのマネが多い中で、ひとみは自分なりの歌を歌っていたのが光ってました。
普通は合格したら即デビューを考える子が多いんですが、彼女はしっかりしていて、ちゃんと地元の高校を卒業してから、デビューしました。
デビュー後、ちょっと太り始めたのを気にしていたようです」
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