石川ひとみファン 復刻コメント&返信

 ブログシステムの障害で消えてしまったコメントと返信を、まとめておきました。

 (1)「にわか雨」/「三枚の写真」

 ひっくん | 2009年2月 7日 01:38 |

 いつも大変興味深く、楽しく読ませて頂いています。石川ひとみファン歴の極浅い小生にとって、ついのめり込んでしまう様な記事ばかりです。
 YOU TUBEでの観賞法、凄く楽しめる方法ですね。参考になります。

 本当ですか?
 当初「にわか雨」が「まちぶせ」のすぐ後にくるハズだったという愚零闘武多さんの情報(事実)
 そして急遽 二匹目の泥鰌を狙って三木聖子の連続カバーへと。

 いやあこりゃ残念無念の何物でもありません・・。

 というのも、私も色々最近YOU TUBE で見させて頂いてますが、初めて「にわか雨」に出会った時、「なぜこんな可愛いヒット路線の曲が石川ひとみのキュートさを得て売れなかったのか?
 と一瞬不思議に思えたと同時に、「まちぶせ」?「にわか雨」の間シングル5曲を経ている配列が不自然に思えてなりませんでした。

 まさかそういった背景があったとはねえ。
 うーん残念無念。ひとみさんが悔やまれてなりません。

 やっぱ根底に残る不運の女王的イメージが自分の中でこれでほぼ確定的になってしまうかのような事実です。
(でもだからこそ、ひとみさんにのめり込んでしまいますし、色々分析したくなってしまう自分でもありますが。)

 ちょっと聖子を意識したかと思いますがあれで正解だったと確信できます。僕は観客の中の親衛隊のコールのし易さ・し難さも底辺層キープのファクターだと思っています(最近ではつんくもモー娘でそれを再現し事実パワーを付けたと思えています)。

 しかし当時の映像「3枚の写真」ではそれがピタっと消え失せ、「君は輝いて・・」と「にわか雨」ではまた親衛隊のコールが復活しています。

 でも皮肉な事にアイドルって鮮度が命ですから、この間5曲・2年半も経過しちゃってるのが痛い。
 しかも既に3-4年遅咲きの彼女でしたから。

 小林さんのピックアップされたベストと私も近いものがあります。

 繰り返しますが、初期は乗りの良くてコールが掛けやすい曲、明るい曲に限ります。
 そこからシリアスなのをちりばめていって次第に大人っぽくセクシーにっていう考えです(定石?)

 「右向け」「あざやかな微笑み」はどうも演歌っぽくてとくに「あさやか」のサビ「眼がしらから1cm」の「1cm」っていうところが臭過ぎてどうもなあーという感じです。

 それと、各曲の歌詞ところどころに、とても暗くてズサっとくるような言葉が幾つか出てきますね。
 これらは一個でもあってはならないと思います。

 きっと当時のナベプロの内部事情が暗く気持ちがいきり立っていたんだと想像するに易いです。本当に戦艦大和を作っていた日本海軍が米の空戦術にしてやられたのとおっしゃるように同じだと思います。

 石野陣営はこれからでしたから、細かく注意を払った丁寧で充実した、それなりに時間と金を賭けた下準備が出来ていたハズです。



| 2009年2月 7日 12:48 | 返信

 親衛隊のコールのしやすさ、なるほど。
 せっかく『まちぶせ』が大ヒットしたのですから、二段ロケットに点火するような勢いのある歌をリリースして欲しかったですよね。

 デビュー当初の歌を改めて聴いてみると、ある種の勢いを感じます。
 本当は、このような勢いがある時に一気に駆け上らねばいけないのかな、と思います。

 でも、石川ひとみちゃん自身が、大ヒットしなくて良い。
 それよりも、長く歌をやっていきたいという気持ちだったそうで、
「何度も聞くと、じんわりとその良さが分かる『3枚の写真』は、彼女の選択でもあったということでしょう。



 ひっくん | 2009年3月 8日 08:13 |

 自分なら林寛子さんの「素敵なラブリーボーイ」です。
「あなたは特別な男の子 私を自由に出来るー」・「女の子は感じやすいのー」とドキっとするような歌詞を歌っている曲です。(確か小泉さんが後カバーしていたと思いますが。)

 これを「鮮やかな微笑み」とチェンジして頂けたら個人的には感激物です。

 更に年代が飛んで恐縮なのですが、「まちぶせ」でやっていた「言い寄ったり し・な・い」時のあの肩をすくめて、こちらを見、切ない視線で見つめる様なあの仕草が出来る様な曲を次に持ってきて欲しかったです。


| 2009年3月 8日 10:05 | 返信

 林寛子ちゃん、思い出します。

 デビュー曲「ほほえみ」のキャンペーンで早稲田に来た時、スタート地点の高田馬場のレコード屋さんの近くで見ました。
 歩いていたら、寛子ちゃんが黄色いアイドルドレスを着て、たすきをかけていて、にこにこ笑いながら手を振ってくれました。

 可愛いお人形さんだな、という印象でした。



 (2) VS 桑江知子

 ひっくん | 2009年2月12日 11:47 |

 【79年の低迷に関し思う事】

 こんにちは。いつも大変楽しく読ませて頂いております。
 この3作目「鮮やかな微笑み」から以降、言われます様にかなり太ってしまっていますね。

 

 凄いことになってます。これが79年低迷に大ダメージを与えたことは否めないですね。
 大切な時期だったために残念です。

 もし「まちぶせ」をこの頃歌っていたとしても、アイドル的ビジュアルがまんま欠落していますのでヒットしていないのでは。


 ご本人も当時「アイドルとしての意識が無かった」と申されておりますよね。
 でも彼女はNAVレーベル(1974-1980)というアイドル歌謡曲専門レーベルからデビューしているのだから、その辺は割り切って何年間かやるべきだったと思います。

 そして後年、太田裕美か渡辺真知子風の風貌と大人っぽい、難しい音楽で攻めていけば、いい感じでスマッシュヒット連発クラスにはなり得たようなイメージも浮かんできますが。


 ここで少し興味本位で、同期の桑江友子さんについて調べてみました。

 石川さんと桑江さんは1978年3月に上京、国立にあるナベプロ寮に入ります。
 石川さんは上京2ヶ月後に早々とデビューしてしまいます。

「鮮やかな微笑み」発売の4日後、桑江智子さんは遅れること8ヶ月、
 79年1月25日「私のハートはストップモーション(竜真知子・戸倉俊一 萩田光夫)」でSMSレコード(ニューミュージック開拓のためナベプロが作ったレーベル)よりデビューします。

 このレコードは15万枚を売り上げました。(オリコン12位)。
 桑江さんはこの年の年末大晦日の第21回日本レコード大賞で最優秀新人賞を獲得。
 (竹内まりやを抑えての獲得。)


 この同期の桑江さんの大活躍のショックが例の激太りに少なからず影響していたりして。
 ...なんて、思ったりもてしまいます。


 (以下WIKIより引用))桑江さんは、ナベプロが若者のニューミュージック指向を高めようと立ち上げたNON STOPプロジェクトの一員である。
 (他のメンバーは、大塚博堂・太田裕美・山下久美子・ルイス・ララ)風の曲作りなど、売り出しには渡辺プロダクションのプロフェッショナルな仕事があった。


 これを見るとナベプロはも桑江さん売り出しに関しては、戦略をじっくり練っていたように見えます。
 そして現実ヒットさせ、新人賞も獲った。
(しかしこの曲以外際立った作品には恵まれなかったようで一発屋で終わっていますが)


 ひとみさん自身当時、プリンプリンが意外に好調で、歌の経費を削られているのでは?
 それでカバー(ハート通信はアグネスのカバーですので。)にされているのでは?
 とこの時期少々自虐的になっていたような回顧録もありますよね。

 自分と他人を比較するのが嫌いと言っている彼女でもこの時期ばかりは真近な同期の活躍を見て動揺せずにはいられなかったハズ、と想像してしまいます。


 当時小5だった自分も、この桑江さんの曲はとても斬新でカッコ良いと素直に思いました。
(大変失礼ですがお顔はあまり可愛いとは思えませんでした。)

 残念ながら石川ひとみさんの存在は、この頃全く知ってませんでした。名前も顔も。


 なお桑江さんも86年にヌード写真集を撮っているそうです。石川さんのそれの約2年後になりますか。


| 2009年2月12日 23:37 | 返信

 79年のひとみちゃん、そうなんですよネー。
 私も口に出して言えませんので、79年はパスするつもりでしたが、ご本人がそれに触れていますのでちょっと言及しました。

 桑江知子はそんなに売れましたか...
 『くるみ割り人形』の倍以上ですね。

 石川ひとみはスター級の扱いで、桑江知子は大部屋なみの扱いでしたけど、売り上げは桑江が倍以上だったら焦りますよね。

 たしかに、この頃は桑江知子の方はテレビによく出ていましたが、石川ひとみはほとんど見かけませんでした。


 (3) 新曲選定の実情は?

 ひっくん (2009年3月15日)
 【ひとみ陣営のシングル選曲について】

 石川ひとみさんの全シングルの内1から10作目までの中でも特に2曲目(くるみ割り人形)から8曲(秋が燃える)までの選曲に関して、プロダクション社長の意見とレコード制作ディレクター、そして石川ひとみさん自身の意見がぶっちゃけ各々何%ずつくらい反映されていたのかを非常に知りたいと常々思っているのですが。

 まず、デビュー曲の選曲に関しては、ピーナッツ時代から事務所と一心同体とも言える宮川泰先生に作曲を依頼していることからも、ナベプロ側のひとみさんに賭ける意気込みの深さが伺えます。(これは飽くまでも個人的な見方です。) 


 2曲目「くるみ割り人形」は、デビュー曲が不作だったことへのイメチェンと捉えられますから、推測は比較的簡単ですし、本サイトでもありますように、それが功を奏した結果をしっかり残していますよね(石野真子ちゃんにはやられちゃいましたけど)。
 
 問題は、3、4曲目ですが、3曲目はイマイチまだブログを読ませて頂いたりしても個人的に何か真相が見えないままでいるのですが、
 4曲目も3曲目同様に人気下降してしまった選曲ですが、4曲目に関しては会報(79.6月号 P34 ファンインタビュー)に面白いと思われる記事がありましたので抜粋してみます。 

 (抜粋)

 「私はネ、声が張れるような歌がすきなのね。でもあのLPの中には静かな曲が多かったのね。

 (他の前後の記事内容からセカンドアルバム「ひとりぼっちのサーカス」の事を指しています)。

 今歌っている「ひとりぼっちのサーカス」も静かな曲でしょ。
 あれはあれで大好きなんだけど、もう少し個性が出せるような曲が歌いたいわ。(省略)

 「そう、曲としては「ひとりぼっちー」はとてもいい曲なんだけど、なにか自分じゃないみたいで。
 私、あんなんじゃないもの。あれ程暗い女の子じゃないと思っているから・・・。

 もっとハッピーな、詞の内容はハッピーじゃなくても、メジャーな曲で・・・・今風のニューミュージックというんじゃないけど、それに近い、そんな感じの曲が歌ってみたい」。

 凄くひとみさんの気持ちが分かります。当時20歳前ですし、もっとポップ調の曲を歌いたかったという感じがなんとなく伺えます。(少なくとも2連続でマイナー調は、少し滅入った感じとでもいうのでしょうか?)。

 このインタビューから察する限りでは、少なくとも4曲目「ひとりぼっりのサーカス」に関しては、事務所もしくはレコード会社(ポニーキャニオン内のNAVレーベル)の意向が強くプッシュされているということでしょう。

 更に悪いことに、残念ながらセールス結果が良くなかったということでもあります。

 *(3曲目「鮮やかない微笑み」に関してこういうような記事が見つかればまた報告したいと思います。)


 ・歌手の人が歌を唄い、売れるということは大雑把に考えて大きく4パターンあると思うのですが
(1) 好きな歌を唄い、尚且つヒットした場合。
(2) 好きな歌を唄えたが、不発に終わった場合。
(3) 嫌いな曲を唄ったが、ヒットした場合。
(4) 嫌いな曲を唄い、尚且つ不発に終わった場合。

(1) は最高のパターンで松任谷由美さんなどは常々「(1) でなければ意味がない」とおっしゃっていた様ですね。

(2) は、結構歌手の方では良くあるケースだと察しられます。

(3) も(2)同様に、非常に多いパターンだと思われます。仕事と考えると(2)(3)が真っ当ですか。

(4) は最悪で一番避けたかった事態・・・。


 4作目シングル「ひとりぼっちのサーカス」に関しては、残念ながら(4)つまり一番最悪パターンと言える作品でしょうか。

 (作品自体は良いものと自分でも思いますが、時期的に、という意味でです。)
 これは飽くまでも自己流解釈ですが。


 更に細分化して知りたい事が最初に云ったことなのですが、この曲やその後8曲目までの選曲に関して、渡辺晋社長がどれくらいの幅を利かせていたのか、松下制作部長は?。

 それともレコード会社の制作サイドでほぼ決めたことだったのか?・・・この辺をとても知りたいのですが、御存じの方いらっしゃいますでしょうか?

 一つ言えることは、この当時に関して言うと渡辺晋社長は、財界に色々精力を注いでいた様子でして、タレントのレコーデンングに顔余り出していなかったようにも捉えられるれ記述もあるようなのですが、どうなんでしょう?

 はたまた、社長自身が細かい指示を直接現場に出すようになっていってしまった時期も現実ありますよね。

 もしくは、事前会議に顔を出す時間を面倒臭く感じており、荒っぽい指示を出して帰っていったとか・・そんなイメージも出来ますが。もちろん9作目「秋が燃える」でトチくるって歌詞を書き換えたりしていた可能性は確かに否定できませんね。

 社長としても手術をしたり放射線治療も時々受けて病院に行ったり、外用もあり必ずしもレコーデイングやミーティングに顔を出していた訳ではないのでしょうけれども(しかし少なくもナベプロ初期の頃は必ず選曲会議に関しては第一線で毎回綿密な指示を出していたことは良く知られていますよね。そしてその頃は晋さんのセンスも世間のニーズに上手くマッチされたプロデュース策を打ち出せていた。)
 
 79年から80年当時の音楽情報雑誌関係を当たれば、このあたりを少しは探れる可能性があるのかも知れませんが、当方も特に音楽マニアという程でもないものでして。もし関係者の方にでも聞けば一発で分かるんでしょうけれどもそれは無理ですか(笑)。

 お間違えの無い様にですが、私は世間で言われる程渡辺晋は悪い人間ではなかったという見方をしている方ですので、その辺はまた後程機会がありましたら触れたいかなと思います。


| 2009年3月15日 13:40 | 返信
 ナベプロはタレントの数が多かったので、分業制が敷かれており、制作部が基本的に歌手の歌作りの権限を持っていたようですね。

 プロデューサーも何人かの歌手を担当し、マネージャーは個々に担当するが、マンネリを避けるために異動が行われるシステムを敷いていました。

 曲の選定は現場に近いレコード会社のプロデューサーが、作詞・作曲・編曲者に声をかけて、いくつかの候補曲を作り、新曲選定会議で決定される。

 制作部長は基本的に営業面のことを考えますし、歌以外の衣装だとかプロモーション戦術だとかを仕切りますので、曲作りにはあまり関わらないようです。

 そして、アイドル歌手はほとんど意見が言えない、というか指示通りに動くだけというのが当時の姿だったようです。睡眠時間もろくに取れず、あちこち移動して歩く毎日ですから。


 石川ひとみちゃんも、自分の意見が言えるようになったのは『まちぶせ』以降のようですね。

 小柳ルミ子でさえも、嫌な曲をリリースさせられて、テレビで1回だけしか歌わずに反抗したのはずっと後のことでしたから。

 石川ひとみちゃんも『まちぶせ』がヒットしてから、ものを言えるようになったわけですね。

 渡辺晋は自分が音楽をやっていましたから、新曲選定会議には必ず出席するようにしていたようですが、レコーディングにはこの頃は立ち会わなかったのでは...。

 ナベシンはタレントを大事にしていたことは事実ですので、悪い人間ではないです。

 唯一、「ひとみを、何が何でもオナペットにしろ!」と、とんでもない檄を飛ばしたので、この野郎!とファンとして怒るわけで。

 『まちぶせ』のキャンペーンでは、歌手石川ひとみ、ビキニの水着姿で歩行者天国の公衆の面前に立ちました。
 石川ひとみの意気込みが恥ずかしさを上回ったということですが、このような重大な指示はナベシンしかできないでしょう。

 ディレクターが指示して、ナベシンが知らなかったでは、済まない話です。
 ナベシンがOKしないことを、他の誰もやろうとはしません。

 レコード会社は、新曲候補曲を所属の作詞家・作曲家に委託して、何曲か作ってプロダクションに提示するということは、昔からのやりかたですね。
 そのレコード会社優位の支配体制を、アメリカ視察帰りのナベシン夫妻が独自制作路線で打ち破ったというのは彼らの功績です。


 ですからナベプロにおいては、曲選定にレコード会社はさほど関与しないはずです。
 ナベプロのような独自制作路線のプロダクションで、新曲選定会議はトップシークレットですし、重要な戦略・戦術を話し合う場ですから。
 他のプロダクションに情報が漏れかねないようなことは、用心して、やらないはずですが。

 ただ、レコード会社が曲ネタ情報を提供するということは、マーケティングを担う販売側の役割として、当然やっていることだと思います。

 事の真偽は分かりません。
 私の役割は、問題点を投げかけて、事実検証が好きなファンの方に、情報をフィードバックしてもらうことだと考えていますので。

 それで、私がつい口ずさむ石川ひとみちゃんの歌は、一番こき下ろしている...
 『ひとりぼっちのサーカス』
 ですね。

 それを研ナオコ風にアンニュイに歌っていたりして...

 
 石川ひとみちゃんの水着キャンペーン、
 画像を持っていたのですが、見あたりません。

 「横丁の名探偵」様<「海のようなやさしさで」

 中程に、「生体験」というのがあります。

 幸運にも、たっくんさんは、新宿アルタ前を歩いていたわけですね。
 黄色い水着姿の石川ひとみちゃんに遭遇した!



ひっくん | 2009年3月15日 15:17 | 返信

 確かに

 「ディレクターが指示して、ナベシンが知らなかったでは、済まない話です」
 その通りですよね。

 ・・そうですかひとみちゃんそんな過激なキャンペーンまでしていたとは初めて知りました。

 ナベシンも確かに体調も悪くて、まともな思考が出来ない状況だったかとは思いますが、ひとみファンとしてはちょっと避けて欲しかった路線ですね。

 もう少し仕事を有能な部下に任せて、自分は隠居するとか事務所をノレン分けする方向を打ち出してくれていればなあ、と思わざるを得ませんね。

 
 アイドルは確かに、自分の好きな歌を歌わせてもらえるということは皆無でしょうね。確かに。
 特に昔はそうだったんでしょうね。
 売れる・売れないはキャラ以外にも楽曲の良さとか含めて運も多分にあろうかとも思いますね。 

 「まちぶせ」が大ヒットしたお陰で色々意見が云えるようになったのはこちら側としても嬉しいことですね。
 自分は毎日何かしらひとみ関連のCDを聴いています。
 

 余談ですが、
 最近知ったのですが、石川ひとみさんは「渡辺プロ新人セクション第一号タレント」という触れ込みでナベプロ入社当時扱われていたようですね。

 これのコンセプトは「有望な新人を発掘して大きく育てようという部署」とのことですが、
 これを見ると、どうもナベプロとしては石川ひとみさんを「君スタ」で優勝する・しないに関らず新人として受け入れる体制があったように見受けられるのですが。

 少しズレましたが、
 あのセクシー路線は、石川ひとみちゃんの前に五十嵐夕紀さんという方がいらっしゃったのですが、個人的に思うに、どうもその方がナベプロで最初にセクシー路線を強要させられたタレントだと思われます。

 そしてその系譜を石川ひとみちゃんも辿る運命になってしまった、というのが今のところの個人的見解です。
 色々見てみると何となく系路が似ている感じがするのです。
 
 (一部省略させて頂きます。3月19日)

 あまりにナベプロ若手タレントが低調なので「これじゃいかん」ということで3億円を掛けて総力結集して作り上げた逸材が吉川浩司だと思うんです。

 だから吉川さんはナベシンさんが死ぬ直前まで渡辺プロに居たけれども、非常にラッキーなタレントだと思いますが。

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