ただし、この歌は地声で出せる高音の限界近いところまで声を張り上げるので、年と共に歌い方を変えざるを得ないですよね。
おとなしいというか、丁寧というか、一気に吹き上がっていく歌い方はやめています。
声は初期の頃よりも出ているようですが、こなれてきた分だけ何かが違ってきている感じを受けました。
それにしても山田直毅さんのリードギターは冴えています。切れがいい。
この後の、一五一会の直樹さんの演奏もイイです。
ライブなので、ということを差し引いても、ちょっと「くーるーみわりー」というところが、物足りない気がしてしまうのだけど。
『まちぶせ』以来、丁寧な歌い方に変わったということは了解しているのですが...、「私はお人形」という歌い方から、一歩退いて歌っているような感じがします。
次に削除されたものをモグラたたきゲームで復活した、お人形ステップ版「くるみ割り人形」
これがいいですね。
操(あやつ)り人形のイメージで振り付けしているので、ぎこちない振り付けとか言ってちゃダメね。
わざわざ、そういう振り付けをやっているのだから。
人間ではなく、お人形。
最後に一五一会版「くるみ割り人形」です。
それぞれにひとみちゃんらしい魅力を感じるところではあるのですが、やはりこの歌は大人になる前の、もっと言えばセシル年齢以前の少女の面影を宿している年齢で歌うのがやはり一番かな。
世阿弥の「風姿花伝」で言われる時分の華というやつで、この歌が合うのは青いリンゴの年頃ですね。
島崎藤村の「若菜集」に「初恋」という有名な詩があります。
『初恋』
「まだ上げ初めし前髪の林檎の元に見えし時、
前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に人こひ初めしはじめなり 」
「まだ、髪を(大人の髪型である日本髪に結い)上げて(間もない)君」が、という省略を含んだ表現ですね。ここで、花ある君というのが世阿弥の時分の華を受けていることは明白です。
色気というものがない少女から、異性を意識し始める時期の女の子というのは、じつに、古来男の気持ちをかき乱す独特の風情、魅力を持っている、と。
それこそが、YouTube の石川ひとみ『まちぶせ』が醸し出している魅力の根底にあるものだと感じる。
花の蕾(つぼみ)の時期は短い。
そして、『くるみ割り人形』は、それよりも一歩手前...最後の少女期の歌だね。
ですから、石川ひとみ、高校2年でこの『くるみ割り人形』でデビューしていたら、全然違った展開になったかもしれません。
運勢的にも最高にイイ年回りだし、年齢と容姿と歌の内容がピッタリと一致して、最高のパフォーマンスになっていたはずです。リンゴと同じで、顔にワックスをかけたように光っている肌つやの年齢ですから。
まあ、18歳から19歳にかけて歌っても、オクテで可愛らしいひっちゃんですから、イイに決まってますけど。
でも、20歳すぎて歌っても、多分遅いだろうなという感じは否めないかな。
歌詞によって、歌うべき時に歌わないと「何かが消えてしまう」というものがあるのだなと思うのだけど...
という前置きをして、明日は「ラジオデイズ」を取り上げます。
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