石川ひとみ『坂道』(1982 キャンパスライブ) 作詞:鈴木隆子/作曲・編曲:山田直毅
少女の頃に還ったような、もどかしい恋。女性的片思いの夢遊病にも似たためらいにゆれる日々。
「にわか雨」のバリエーションとも言える歌ですが、男性像がほとんど見えない個幻想の世界。
少女の頃に還ったような、もどかしい恋。女性的片思いの夢遊病にも似たためらいにゆれる日々。
「にわか雨」のバリエーションとも言える歌ですが、男性像がほとんど見えない個幻想の世界。
キャンパスライブで、ひとみちゃん「直樹さんが作ってくれました」と言っているのが、この曲です。
作詞の鈴木隆子さんについてはよく判りませんが、ティーンエイジャーの感性が表現されています。
「にわか雨」でも出てきますが、女性は回り道というのが好きですね。
でも、鈴木隆子さんの、この回り道はかなり意味合いが違います。簡単に言えば、
「思春期片思いの夢遊病にも似た回り道」
ずばり言ってしまえば、「恋活」(レンカツ)ですね。
片思いの好きな人と、何とかしてお付き合いをしたい。
そのキッカケを求めて、ついフラフラと彼の家の方に足が向いてしまう...『まちぶせ』前期症状です。
でも、ためらいがあって、それ以上には進めない。
鈴木さんの他の歌詞をチェックしてみますと、例えば、
小泉今日子 「林檎のきもち」 作詞:鈴木隆子
テキストブック 言い訳にして あなたのお部屋を 尋ねていくわ
わからないこと 聞くふりしては 息かかるくらい 頬を寄せたの
これは、恋活ですよね。
それで、彼が妬くようなことをやって気を引こうとしたり、それでイヤな女だと思われたりしないかと心配したり、恋活の駆け引きで独り相撲をしている...。
こわいほど好きになってく
一人じゃ抱えきれないの
自分の感情・気持ちが、理性あるいはためらいというダムあるいは堰からあふれそうです、と。
ダムからオーバーフローしたり、堰が決壊してしまえば『まちぶせ』の世界になりますね。
しかし鈴木さんの感性では、
「あなたと一番通りたい道に 背中を向けて口唇噛む私」という、屈折があります。
この上ない幸せをいざ目の前にして、一緒に歩き出せる子は生活者としてごく普通に日常生活を送っていける人です。
けれども、想いとは裏腹に背中を向けてしまう人は、自分の内面世界に感情の原点をおいている人で、好むと好まざるとに係わらず詩人としての感性を持って生まれた人ですね。
若々しい直線的なリズムで「好き」とは決して言えない感性、それがこの人を作詞家に導いているはずです。
それでこの「坂道」の歌詞ですけれども、恋愛というのはこの「恋活」の頃が一番夢中であり、文字通り「夢のような時間帯」なのではないかな。想いの強さ、濃密度が最高潮の時だと思う。
そして恋が成就するか悲恋に終わるかの時に瞬間最高風速を記録するけれども、やがて心のテンションは次第に低下していくものです。
ですから、恋の歌のテーマとしては一番いい時期の歌、つまり青春ソングと言われる世界なのですね。
石川ひとみは青春ソングが大好きで、天地真理や岩崎宏美、岡田奈々などの青春ソングを中学生時代に歌っていたようです。
私がいう「アイドル勝負歌」の一歩手前の世界ですけれど、1982年のリリースですから、石川ひとみ22歳。年齢的には、ちょっと苦しいところでしょうか。
でも、こういう歌をうたうと、巧まずしてかわいらしい地声が出る「わたしはひ・と・み」ですから。
下校の時に好きな子の通学路の方に遠回りして行ったりとか、私でもやりましたけれども、小学3、4年から中学1年生くらいまでで、その後は男の世界に入っていったと思います。
女の子だとしても、ティーンエージャーまでの世界ではないでしょうか?
石川ひとみも桜田淳子や山口百恵のように、高校といわず中学生でデビューして、このような歌をうたってしまえば間違いなくアイドルとして一時代を築くことになったのではないかと思います。
山田直毅さんの曲作りも素直な青春歌にぴったりで、編曲も抑制がきいています。
石川ひとみが青春歌を歌いたがっていることをよく知っていて、この曲を作曲したのでしょう。
「はらはらと舞う 風花のよう 頼りない日々」の後に3度繰り返されるフレーズが、一番の歌詞の「ハラハラと散る 落ち葉のよう」なイメージを喚起して、余韻が感じられます。

「にわか雨」でも出てきますが、女性は回り道というのが好きですね。
でも、鈴木隆子さんの、この回り道はかなり意味合いが違います。簡単に言えば、
「思春期片思いの夢遊病にも似た回り道」
ずばり言ってしまえば、「恋活」(レンカツ)ですね。
片思いの好きな人と、何とかしてお付き合いをしたい。
そのキッカケを求めて、ついフラフラと彼の家の方に足が向いてしまう...『まちぶせ』前期症状です。
でも、ためらいがあって、それ以上には進めない。
鈴木さんの他の歌詞をチェックしてみますと、例えば、
小泉今日子 「林檎のきもち」 作詞:鈴木隆子
テキストブック 言い訳にして あなたのお部屋を 尋ねていくわ
わからないこと 聞くふりしては 息かかるくらい 頬を寄せたの
これは、恋活ですよね。
それで、彼が妬くようなことをやって気を引こうとしたり、それでイヤな女だと思われたりしないかと心配したり、恋活の駆け引きで独り相撲をしている...。
こわいほど好きになってく
一人じゃ抱えきれないの
自分の感情・気持ちが、理性あるいはためらいというダムあるいは堰からあふれそうです、と。
ダムからオーバーフローしたり、堰が決壊してしまえば『まちぶせ』の世界になりますね。
しかし鈴木さんの感性では、
「あなたと一番通りたい道に 背中を向けて口唇噛む私」という、屈折があります。
この上ない幸せをいざ目の前にして、一緒に歩き出せる子は生活者としてごく普通に日常生活を送っていける人です。
けれども、想いとは裏腹に背中を向けてしまう人は、自分の内面世界に感情の原点をおいている人で、好むと好まざるとに係わらず詩人としての感性を持って生まれた人ですね。
若々しい直線的なリズムで「好き」とは決して言えない感性、それがこの人を作詞家に導いているはずです。
それでこの「坂道」の歌詞ですけれども、恋愛というのはこの「恋活」の頃が一番夢中であり、文字通り「夢のような時間帯」なのではないかな。想いの強さ、濃密度が最高潮の時だと思う。
そして恋が成就するか悲恋に終わるかの時に瞬間最高風速を記録するけれども、やがて心のテンションは次第に低下していくものです。
ですから、恋の歌のテーマとしては一番いい時期の歌、つまり青春ソングと言われる世界なのですね。
石川ひとみは青春ソングが大好きで、天地真理や岩崎宏美、岡田奈々などの青春ソングを中学生時代に歌っていたようです。
私がいう「アイドル勝負歌」の一歩手前の世界ですけれど、1982年のリリースですから、石川ひとみ22歳。年齢的には、ちょっと苦しいところでしょうか。
でも、こういう歌をうたうと、巧まずしてかわいらしい地声が出る「わたしはひ・と・み」ですから。
下校の時に好きな子の通学路の方に遠回りして行ったりとか、私でもやりましたけれども、小学3、4年から中学1年生くらいまでで、その後は男の世界に入っていったと思います。
女の子だとしても、ティーンエージャーまでの世界ではないでしょうか?
石川ひとみも桜田淳子や山口百恵のように、高校といわず中学生でデビューして、このような歌をうたってしまえば間違いなくアイドルとして一時代を築くことになったのではないかと思います。
山田直毅さんの曲作りも素直な青春歌にぴったりで、編曲も抑制がきいています。
石川ひとみが青春歌を歌いたがっていることをよく知っていて、この曲を作曲したのでしょう。
「はらはらと舞う 風花のよう 頼りない日々」の後に3度繰り返されるフレーズが、一番の歌詞の「ハラハラと散る 落ち葉のよう」なイメージを喚起して、余韻が感じられます。
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