石川ひとみさんが、プロダクション内で「新人セクション第一号タレント」として位置付けられていたという記事と、その新人訓練が厳しかったという話です。
(1978年6月・8月の記事からです。一部プロダクション宣伝文句は端折っています。)
「渡辺プロ スター予備軍猛特訓中! 明日へ翔け」
渡辺プロダクションの中に新人セクションがある。有望な新人を発掘して、大きく育てようをいう部署である。
昨年(1977年)の11月からは毎月一回の割で、新人オーディションを実施して、只今、10名を超えるタレントの卵たちが東京音楽学院などで特訓を受けている。
今月号のグラビアでも紹介の通り、5月25日に石川ひとみが「右向け右」でデビュー。
新人セクションの第一号タレントとして、自信を持って送り出した大型新人だが、彼女に続いて有望新人の卵たちが待機中だ。
まず、新人オーディションから見てみよう。審査会場は東京・青山にある東京音楽学院のレッスン場。
応募者は「一般応募の部」「学院の生徒の部」の二つに分かれて審査を受ける。
渡辺プロの松下治夫制作部長をはじめ、制作部を中心にしたスカウトマンたち総勢30名程度がメモをとりながら厳しい質問をあびせる。
この中会場の中に「君スタ」ディレクターの熊田さんが居たのでしょうか?その後名古屋まで足を運び、ひとみさんへ「君スタ」出演を薦めることになります。
歌い手志望の者はその場で、ピアノの伴奏で歌わされるし、演技を志す者は寸劇などを披露しなければならない。
ただし応募はだれでもできる。
テレビのスカウト番組の模様を思いうかべてみれば、審査会場の雰囲気は分かるはずだ。
さて、見込みのある者として選出された者には、早速厳しいレッスンが開始される。
ひとみさんは76年11月にオーディションを受けた後、すぐ1か月後には「君スタ」に出場。翌77年3月チャンピオンとなります。77年・高3の一年間は何事もなく過ごして78年無事修業します。
この経過を経て上京してからの訓練か、もしくは高校3年中にデビューの準備の為、学校に了解の上ちょくちょく休んでいたとのことですから、その間に上京してこの訓練を受けていたのかもしれません。
上京してからはビッチリと稽古していたのでしょう。
月曜から土曜までビッチリとつまったケイコ時間。発声から歌唱までをトータルして訓練。ギター、ドラムの指導。ダンスやセリフのレッスンもあるという具合だ。
午前10時から約二時間の授業が、夜9時まで、4つのコーナーに分かれて行われている。
大部分の授業は東京音楽学院で行われているが、発声は代々木オリンピックセンターで訓練される。
荒谷先生によるこの授業はまさに特訓という言葉がピッタリで、鉛筆みたいな細い棒の先端にガーゼを巻き、それをノドの奥深くまで入れ込み、声を出すというもの。
苦しくてあげてしまう者も続出という猛レッスンである。
また、歌唱レッスンにはワキタスタジオで淡海バンドをバックに行われているが、その場でテープに収録して、具体的に欠点を指摘しながらの指導。ドラムの稽古もこの時だ。
現在、レッスン生は女性が10名、男性が2名を数え、連日の猛レッスンに励んでいる。8月には石川ひとみに続けとばかりにもう一人の有力新人がデビューする。桑江知子(以下省略)

西条満先生のレッスン指導風景。
くるみ割り人形などの振り付けを担当された方。
レッツヤン サンデーズの振り付けもこの方によるもの。
当時のトップアイドルは殆どこの方にお世話になっているようです。
*
ひとみさん、この記事の2か月後に、新人訓練の様子を語っています。

「柔軟体操やマラソンもやるんですよ。発声練習なんかもブリッジみたいに体を曲げて回転しながら声を出すんです。それから、きつい体操の後に鉛筆にガーゼ巻いて、喉の奥を刺激しながら声を出すんです。大抵みんな気分が悪くなりますね(笑)。」
*
その後、対外的に「新人セクション第〇〇号」というアピールは特にしないままだった様です。何時頃までこの特訓が継続していたのかは不明です。
コメントする