石川ひとみ 『いつわり』 (1982.9.21)「冬のかもめ」B面
作詞:石川ひとみ/作曲:山田直毅/編曲:松任谷正隆
作詞:石川ひとみ/作曲:山田直毅/編曲:松任谷正隆
石川ひとみちゃんの歌詞に、山田直毅さんが曲をつけています。こういうのは筆が鈍る、、、。
たとえば、私が石川ひとみの歌を取り上げて歌詞解釈をしようとすれば...、
・歌詞の言葉の意味は当然のことながら、
・作詞者自身の内面的なものを可能な限り深く掘り下げ、
・あるいは過去の経緯などを考え、
...その表象されている事柄から、私自身が受けるものを自分の言葉で綴るわけです。
作曲者もまた、同じ手順で彼が感じるものを彼の音で表していく。
ただし、作曲者は確認したいことなどや自分の解釈などを、作詞者本人とミーティングで検討できますね。
作曲・編曲を担当した山田直毅さんはバックバンドのリーダーとして身近にいる存在ですので、職業作詞家の歌詞に曲をつけること以上に緊密なコミュニケーションをとることができます。
職業作詞家ではない歌手石川ひとみ、自分の詩を深く解釈されることは、自分の内面をさらけ出すような気持ちになったのではないかと思います。
「好きだ、なんて絶対に告白できない」という石川ひとみですが、詩を書いて発表してしまえば、それは作者の手を離れて自立したものとなります。
それに曲をつけて、シングルレコードに収録するとなれば「仕事」ですので、恥ずかしい気持ちよりもプロの意識+自分の詩の歌をリリースするうれしさがまさると思います。
この詩を読んで読者が感じるであろうある種の気恥ずかしい感じは、若書きの詩がもつ「肉声感」にあるといってよいでしょう。
ひとことで言えば「わたしって、こんなことを思ったりすることもある大人の女よ...」っていうところでしょうか。
この頃は渡辺音楽出版が制作していますので、銀幕ならぬ銀舞台の歌手・石川ひとみではなく、タレント&アイドル石川ひとみですね。
ナベプロ的「となりのひとみちゃん」路線かな。
なんにも言えないのですが、
「愛を知りすぎた」、「心もからだも」という部分でマイナーにシフトしていくあたりに、作曲者の繊細なやさしさがにじみ出ていると思う。
作詞者の赤裸々な自己表出をオブラートでくるんで、さりげなく弱めようとしているのでしょう。
それがまた、都会的で大人のティストになっている。
精神的に「真見ゆ」(まみえ)るものを感じます。
「やさしいだけのことば聞きたくないわ」
...これは、他の作詞家が基調にしている「強がっているけど、本当は弱い女」というものではなく...、
浮気をしている男、あるいは他の女に気を引かれている男は、それを隠すためにことさら優しくふるまうという、そのことを表現しようとしているのでしょう。
ど真ん中のストレート勝負ですね。
この歌もまた、男女関係の永遠の課題である、
「いま愛が引き潮」の女性感覚を歌っているわけです。
山田直毅さんの味付けがなかったら、この歌はお蔵入りしていたかもしれません。
「ひとりじめ」から「君は輝いて天使に見えた」、「冬のかもめ」「パープルミステリー」「にわか雨」というプロデュースの真っ最中のリリース曲ですから、歌手本人の赤裸々な詩という印象をいだかせるこの歌、微妙だったのではないかな。
『まちぶせ』ブレイクから一年後ですからね。
石川ひとみゴシップから間もない時期であり、当時のファンは、どう思ったか...
ファン心理を考えると、相当な誤解をもたらしたのではないかと思うなァ。ウーン......
でも、今現在の印象から付記すれば、どうってことない背伸びをしている女の子の歌という感じなのだけどね。
アレンジがなかなか良いことに気づきました。どうも、ひとみちゃんの歌の方に関心が行きすぎてしまいますので、何度か聞いているうちに曲の方にも注意が行くということですか。
・歌詞の言葉の意味は当然のことながら、
・作詞者自身の内面的なものを可能な限り深く掘り下げ、
・あるいは過去の経緯などを考え、
...その表象されている事柄から、私自身が受けるものを自分の言葉で綴るわけです。
作曲者もまた、同じ手順で彼が感じるものを彼の音で表していく。
ただし、作曲者は確認したいことなどや自分の解釈などを、作詞者本人とミーティングで検討できますね。
作曲・編曲を担当した山田直毅さんはバックバンドのリーダーとして身近にいる存在ですので、職業作詞家の歌詞に曲をつけること以上に緊密なコミュニケーションをとることができます。
職業作詞家ではない歌手石川ひとみ、自分の詩を深く解釈されることは、自分の内面をさらけ出すような気持ちになったのではないかと思います。
「好きだ、なんて絶対に告白できない」という石川ひとみですが、詩を書いて発表してしまえば、それは作者の手を離れて自立したものとなります。
それに曲をつけて、シングルレコードに収録するとなれば「仕事」ですので、恥ずかしい気持ちよりもプロの意識+自分の詩の歌をリリースするうれしさがまさると思います。
この詩を読んで読者が感じるであろうある種の気恥ずかしい感じは、若書きの詩がもつ「肉声感」にあるといってよいでしょう。
ひとことで言えば「わたしって、こんなことを思ったりすることもある大人の女よ...」っていうところでしょうか。
この頃は渡辺音楽出版が制作していますので、銀幕ならぬ銀舞台の歌手・石川ひとみではなく、タレント&アイドル石川ひとみですね。
ナベプロ的「となりのひとみちゃん」路線かな。
なんにも言えないのですが、
「愛を知りすぎた」、「心もからだも」という部分でマイナーにシフトしていくあたりに、作曲者の繊細なやさしさがにじみ出ていると思う。
作詞者の赤裸々な自己表出をオブラートでくるんで、さりげなく弱めようとしているのでしょう。
それがまた、都会的で大人のティストになっている。
精神的に「真見ゆ」(まみえ)るものを感じます。
「やさしいだけのことば聞きたくないわ」
...これは、他の作詞家が基調にしている「強がっているけど、本当は弱い女」というものではなく...、
浮気をしている男、あるいは他の女に気を引かれている男は、それを隠すためにことさら優しくふるまうという、そのことを表現しようとしているのでしょう。
ど真ん中のストレート勝負ですね。
この歌もまた、男女関係の永遠の課題である、
「いま愛が引き潮」の女性感覚を歌っているわけです。
山田直毅さんの味付けがなかったら、この歌はお蔵入りしていたかもしれません。
「ひとりじめ」から「君は輝いて天使に見えた」、「冬のかもめ」「パープルミステリー」「にわか雨」というプロデュースの真っ最中のリリース曲ですから、歌手本人の赤裸々な詩という印象をいだかせるこの歌、微妙だったのではないかな。
『まちぶせ』ブレイクから一年後ですからね。
石川ひとみゴシップから間もない時期であり、当時のファンは、どう思ったか...
ファン心理を考えると、相当な誤解をもたらしたのではないかと思うなァ。ウーン......
でも、今現在の印象から付記すれば、どうってことない背伸びをしている女の子の歌という感じなのだけどね。
アレンジがなかなか良いことに気づきました。どうも、ひとみちゃんの歌の方に関心が行きすぎてしまいますので、何度か聞いているうちに曲の方にも注意が行くということですか。
コメントする