石川ひとみ『つぶやき』 本歌取りの構成

 石川ひとみ 「つぶやき」 (1981.11.21)は、三木聖子のアルバム『聖子』に収録されたもののカバー。
この曲だけを取り上げると、歌詞の女性感覚に付き合いきれない感じがします。
 けれども、「海のようなやさしさで」と「裸足でダ ンス」と、並べてみると、しっかりとした本歌取り三部作になっていることに気づく。
 長岡和弘の描くストーリー展開の一つとしてみれば、納得できます。

石川ひとみ 「つぶやき」 (1981.11.21) 「夢模様」
作詞:竜真知子/作曲:佐藤寿一/編曲:葦沢聖吉



tubuyaki.gif
 これは二股愛の男への歌ですね。

正確に言えば、新しい彼女が出来た男の気持ちが、もはや自分から離れていくのをどうしようもなく痛感している、という段階。

男は女性と一緒の部屋でタバコをふかして窓の外を見つめている。

私はショートカットの別カノの存在を知っている。

多分、彼の車の助手席に付いていた自分のものではないショートカット(髪の色が違うのでしょう)の髪の毛を見つけてしまい、鋭く察知したのでしょう。

でもそれを彼に突きつけて一悶着起こすということなく、自分の胸の内に収めて我慢している状況。

「かえしてあげたくない」という表現に、彼への愛よりも、もう一人の女性に対する女の意地がうかがえますね。

もはや、二人の関係は終わりだということを分かってはいるけど、最後に一切のしがらみやわだかまりを捨て、愛なんてことも忘れて恋の残り火を燃やし尽くしましょう...

 ...という歌です。

 となれば、この次にくるのは...

 恋のニルバーナしかあり得ないだろう。

 恋の炎を燃やし尽くした後の空虚感、
 ......「裸足でダンス」


 この「つぶやき」を知っていないと、シングル曲の流れだけでは「裸足でダンス」の意味もすっきりしない、ということになる。
 

 「セシルの部屋」(武衛尚子)と「裸足でダンス」(竜真知子)との落差の間にある階段の一つとして、収まるべき歌だと。長岡和弘流のストーリー構成なのかな。


 竜真知子さんは、ストーリー展開をしっかりと構築して歌詞を書いていますので、順番に並べやすいという面もあります。

 「裸足でダンス」を取り上げたときに、竜真知子という人は他の作詞者の書いたものをチェックして、それらを踏まえた上で自分の表現を組み立てているという印象を持ちました。

  この「つぶやき」だけを取り上げると、わたし的にはその女性感覚に、男としてはあまりにも違和感を感じてしまうのですが、「海のようなやさしさで」から「つぶやき」そして「裸足でダンス」と並べてみると、首尾一貫したストーリー展開として見えてきます。
 LPアルバムの一つ一つは、テーマが決めやすいために、グループ分けものを作っているわけですね。

 この歌は武衛尚子の「海のようなやさしさで」の続編に位置づけられるものだ、と長岡が採用したのか、あるいは石川ひとみの要望なのか。
 
 『まちぶせ』の後、何を出すかについてはいろいろ論議した様で、渡辺晋が三木聖子のカバー曲という最終方針を出したことはプロデュース問題の方で取り上げました。
 そのときに、いくつか候補をピックアップして歌っているようですが、その中の一曲ということではないでしょうか。

 表現としてみますと、武衛尚子さんの歌詞はより繊細で、よくこなれていますので、大人の女という感じを受けます。ほとんど皮膚感覚と言ってよい感受性の持ち主ですね。

 一方、竜真知子さんは英語混じりのしゃれた歌詞を書くのが得意で、頭で考えて書く傾向があり、繊細な女性感覚を表現するのは武衛さんに一日の長があると思う。
 

 この歌について、ひと言だけ付け加えれば、これは竜真知子の感性ではあるけれど、石川ひとみの感性とは相容れないものでしょうね。

 ひとみちゃんは、納得のいく信頼関係が熟成されない限り男性とお付き合いしないそうですので、二股愛をしていて気もそぞろな男を自分の方に振り向かせようとする、というこの歌はあり得ない。
 コミュニケーション第一のかたですから。やはり、三木聖子の歌だという気がします。

 あるいは、この歌詞の通り最後の恋を燃やし尽くす、と言う意味に受け取ったとしても、石川ひとみには馴染まないと思う。
 以前取り上げた藤圭子「別れの旅」の演歌的世界と同じような内容ですが、「裸足でダンス」が石川ひとみ的ではないと同様、この歌も石川ひとみ的ではないナ。


 けれどもこの重い歌詞にメロディーが加わると、言葉の意味性が急速に減衰して、別れを決意した女の最後の情念みたいな重さは霧散していきます。

 この曲の入りは、歌詞から見れば意外な感じがします。
 どこかの駅のオルゴール・時計台のような音作りで、それが基調リズムをなしています。

 アレンジャー葦沢聖吉の感覚なのでしょうが、歌詞の意味的な重さや生な感情表現を意図的に軽減しているのかな、と思えます。ど演歌になる歌詞を、ポップス調に仕立て上げています。

 あるいは逆に、軽快な曲に重い歌詞を当てて、抑え気味にしたのか。

 どちらにしても、歌詞と曲は対置されたような組み合わせで、意図的にシーソーのような感覚を持たせたのかと思うな。
 『まちぶせ』と同じように、歌を聴いている時には気づきにくいのだけれど、改めて歌詞を読んでみると女の情念みたいなものがチラ見えする、という仕掛けです。三木聖子の歌の世界でしょう。

 それで、石川ひとみの声がかわいらしい高音で、聴いていて参ってしまうのですが、葦沢のアレンジの意味が分かる気がしますね。

 重く哀しいうたをかわいらしい女として歌いきってしまったのだ。
 石川ひとみですから。

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