先週の土曜日、NHK教育テレビ(23:25-)佐野元春が司会進行を務める番組に松本隆がゲスト出演をしていました。
松本は実質的には石川ひとみに歌詞を提供してはいませんが、歌詞とメロディーの関係を考える上で重要な話かと思いますので取り上げておきます。
松本は実質的には石川ひとみに歌詞を提供してはいませんが、歌詞とメロディーの関係を考える上で重要な話かと思いますので取り上げておきます。
松本隆は松田聖子には多くの歌詞を書いています。
そのいきさつは、彼女のデビュー曲となったCM曲を偶然聴いて、この歌手なら自分が思い描くような歌詞とフィーリングが合うのではないかとピンと来たそうです。
その後、先方のスタッフから作詞の話がやってきたのだとか。
松本が作詞家になったのは「はっぴいえんど」が解散して、生活のために音楽プロデューサーという仕事に就いたのだけれども、当時はプロデューサーという仕事自体が出来たばかりのころで、兼業的に作詞を手がけるようになったのだそうです。
彼が1981年大滝詠一に書いた『A LONG VACATION』の大ヒットについて、(ロックの世界にいた大滝を歌謡曲の世界に引っ張り込んだ訳ですけれど)イヤならば彼が拒否するでしょうか ら、(やったと言うことは)受け容れてくれたと言うことでしょう、と述懐していました。
佐野元春が、(作曲家でもある大滝と仕事をする場合)歌詞が先なのか、メロディーが先なのか?と問いただしたところ、「当時はすべて歌詞を先に作ったものだ」と発言していました。そして、これ(曲に歌詞をつけること)は日本独特の文化だと、外国の詩人から指摘されたとも語っています。
時代的なものがあるわけですね。
私の年代ですと、北原白秋の童謡とか、竹久夢二の大正ロマンとか、島崎藤村や西條 八十の日本の歌とか、高名な詩人の詩に曲をつけるというのが当たり前でしたから。
このスタイルが覆される大きなキッカケとなったのは1960年代の海外(アメリカ、イギリス、フランス、イタリア)POP's の大量流入ではないかと思う。
その原動力となったのは、フジテレビがキングレコードのザ・ピーナッツを起用してスタートした「ザ・ヒットパレード」という海外ポップス中心の歌番組でした。
このザ・ピーナッツを発掘したのは渡邊晋のジャズバンド「シックス・ジョーズ」でピアノを弾いていた宮川泰(ひろし)です。
バンドのドラマーだったジミー竹内の手引きで二人を知り、渡辺晋を引っ張っていき歌を聴かせ、面接するよう進言している。面接はほとんど宮川が行い、渡邊家でのレッスンも宮川が引き受けた。
「ヒッパレ」のスポンサーは渡辺プロダクション、番組ディレクターはすぎやまこういちで、自分たちが手塩にかけて育てたザ・ピーナッツのバックバンドとして渡辺晋・宮川泰が演奏して、今日のJPOPの礎を築いたといってよいでしょう。
この「ザ・ヒットパレード」では、それまであまり馴染みのなかった海外POPSが次々に紹介されて、私たち日本人視聴者の音楽観に大きな影響を与えまし た。番組のウリは毎週新曲を紹介するというもので、歌手は短期間で歌詞とメロディーを覚えて、かつ十分に歌いこなすという厳しいものがあったようです。
当時、わたしは外国人が歌を歌うということを想像したこともなく、学校で学ぶクラッシック音楽だけしか知りませんでした。それで、ふと父親に「外人も歌を歌うの?」と尋ねたことがあったくらいですから。どんな歌を歌うのだろうと、興味シンシンでした。
それが、1.2年もたたないうちに1959年アルペンスキー三冠王のドイツ人トニーザイラーが『白銀は招くよ!』を歌って、日本でも大ヒットし、初めて海外POPSを知った次第です。
(追記8/26 本日訃報が伝わりましたね。ドイツ語で歌を歌っていましたので、ドイツ人かと思っていましたが、オーストリア人でした。オーストリアはドイツ語・フランス語・イタリア語圏に分かれています)
さて、大量に流入した海外ポップスですが、その訳詞を担ったのが漣 健児(さざなみ けんじ)本名:草野 昌一(くさの しょういち...シンコーミュージック・エンタテイメント元会長)と、謎の訳詞者であった音羽たかし&あらかはひろしです。
漣 健児の代表作は、坂本九「ステキなタイミング」、飯田久彦「ルイジアナ・ママ」、中尾ミエ「可愛いベイビー」など。「ブーベの恋人」の訳詞も漣です。
彼の訳詞の特徴は、メロディーに合わせて訳しにくいところは原語のまま生かした和英混合歌詞で、今日シンガー・ソング・ライターがよくやる英語混じりの歌詞は、60年代POPSではごく当たり前のスタイルでした。
「あの娘(こ)はルイジアナ・ママ...From New Orleans」...フラニュオリン!なんて、意味も分からず小学生の私なども歌っていました。
また、ザ・カーナビーツの「オブラディ・オブラダ」などのように、訳しにくくかつ原語が難しい表現をしていて日本人には理解できない箇所は、メロディーを変えてしまうという大胆な改変もやってのけたりして、毀誉褒貶を受けるところがあります。
この自由闊達な訳詞が一世を風靡して、キングレコードの「音羽たかし&あらかはひろし」が出現するキッカケになったかと思います。
ザ・ピーナッツ「コーヒー・ルンバ」の作詞は、音羽たかし、「シンデレラ」の作詞は、あらかはひろしですが、二人とも作詞家ではなくキングレコードの社員のペンネームだという。作詞家の代打みたいなもので、代打要員は複数いたのではないかとも言われています。
「音羽」というのは、キングレコードの親会社である講談社があった東京都文京区音羽から取ったもので、坂道を上った高台にあるから「高し」→「たかし」となり、
「あらかは」というのはキング・レコードの制作工場が荒川区にあり、広い敷地があったので「広し」→「ひろし」だと。
ですから、音羽たかしは講談社の海外出版物邦訳の部門からの出向者であろうと推測されますし、あらかはひろしはキングレコードの社員だったのかもしれませ んね。海外POPSは著作権がシビアで版権も高いので、訳詞を社内でまかなわないと採算がとれないという事情があったようです。
いずれにしても、海外POPSの元歌に歌詞をつけるというやり方が急速に普及して、やがて訳詞だけでなく、音楽育ちの若手作曲家が曲先でメロディーを作り、そのメロディーにあわせて歌詞をつけるというスタイルが定着していったのかと思います。
そう考えますと、山上路夫のような大御所ともなると、作詞が先にあって作曲家がメロディーをつけるという伝統的スタイルに馴染んでいるために、歌詞が先というスタイルが多いというのもうなずけます。
それで、松本隆の話の印象では、作詞家はそれほど作曲者や歌手に細かい指示を与えたりしないようなニュアンスでしたが、それは相手が同じ釜の飯を食った作曲家・歌手の大瀧詠一だったからなのか...
今晩、松田聖子についての放送があります。興味のある方はご覧になってはいかがでしょう。
(つづき) 8/15
松本隆の松田聖子評、そうだろうなと思います。
昔、誰かの本を読んでいて、その人の娘さんが松田聖子が出演している番組を熱心に見ているので、おやおやと思ったそうです。
当時、松田聖子はブリッ子という評判がほぼ定着して、自分の娘がそのブリッコぶりにハマッているのか...と思ったようです。
ところが、その娘さん「完璧な演技力ね!」と、その表現力の高さに感心したということでした。
松本隆が評したのも、その点ですね。全身で表現出来て、巧まずとも足の爪の先までそれが行き届くひとだと。
松田聖子は、ファンが今何を求めているかを肌で感じて、それに瞬時に対応するという感性の持ち主でした。
少し驚いたのは、レコーディングの当日歌詞を渡し、ディレクターがメロディーを口ずさむだけですぐに歌詞とメロディーを覚えてしまい、事前練習はテイク3 くらいでOKということですね。それでいて、松本隆の屈折した心情が込められた歌詞を深く感情を込めて歌いきることができた、と。
松本は「天才としか言いようがないですね」と、語っていました。
私がその手の話を聞いたのは美空ひばりくらいでしたね。この人は、歌詞を読んで、メロディーを聴いて、一発で仕留める...テイク1でOK。よほどのことがない限り、歌い直しはない、ということでした。
松本隆の話でひとつ注釈をつけておきたいと思いますが、慶応大学の女学生が「作詞はマーケティングだと思っている」という話に、松本は「マーケティングは時代の後追いだ」みたいなことを答えていましたが、行き違いがあります。
松本が述べているのはマーケティング・リサーチのことですね。
これは、市場調査ということで、マーケティングとは全く別物です。
慶応の女子学生は聴衆やリスナーをファン化するマーケティング戦略という意味で言っているのではないかと、私は思いますので、二人の間に意見の相違はないと考えます
時代を感じるアンテナの感度を高くして、感じ取るというのはマーケティングでは基本的なことですので、いわゆる科学的市場調査法のマーケティング・リサーチの話ではないということです。
松本隆は、感性を磨き、人間としての内面を豊かにするために図書館の本を端から順に読んでいく、つまり好みとか関心にとらわれずジャンルを問わず乱読した、ということを述べていますね。
私も、知的好奇心とか言ってごまかしてはいますけれど、エロ本から宗教・哲学書まで何でも読んできましたね。そのような圧倒的量のインプットがなければ、アウトプットはありません。
松本隆はプロですから、一日二四時間、年間365日作詞者として頭を使っていますから、いつでもどこでもひらめくことがある、と。
自然に任せると言ってますが、じつはそれは頭の基本的な機能のあり方です。
一つだけ意見が合わない感じなのは、男女の考え方に違いはない、という考えですね。
男の松本隆が、女性はこう思うのではないかと勝手に想像して書いたことを、女性がまさにそうだと評価してくれると言っています。
「キスはイヤよは反対の意味」という歌詞が例に挙げられていましたね。(女学生の質問で)
これは、松本隆という作詞家が、女性性を多く残しているからだと、わたし的には考えています。
男にも本来は女性性が備わっているのですが、成長する過程で、男はこうあらねばいけない式の意識付けや男性原理社会(企業など)で女性性がキズつき、そういうものを自分の意識から追い出すことで男性(おとこせい)として成熟していくわけです。
松本はキズつきながらも、自分の中の女性性を鈍磨させたり捨てたりせずに育ってきた、ということだと思う。
これはミュージシャンから作詞家になっていった生き方が、そういうことを可能にしてきているのであって、団塊世代の猛烈社員企業戦士として定年退職まで行ったとしたら、「飯、風呂、寝る」しか妻に言えない男になっている可能性の方が遙かに高いはず。
たとえば私の兄は謹厳実直な銀行員のキャリアを送り、そういうタイプの人間になってしまい、すぐ近くに住んでいますけれども話が合わず、もう40年くらいほとんど付き合いもありません。
私は男性性と女性性というものを二分法では考えて居らず、右から左までシームレスだという前提で、男というもの、女というものを捉えています。
生命現象というのはすべてアナログ的なシームレスの世界ですので、右か左か、男か女かというデジタル的二分法をわたしははじめから否定していますので、松本と意見が衝突している訳ではありませんけれども、表現的には対立するように見えますね。
わたしはこのような説明不足による食い違いというものを強く意識して嫌いますので、長々と文章を書いてしまいますから、歌詞という短い表現形式に馴染まないものを感じます。
日本には、和歌や俳句という短詞の芸術があるじゃないかと思いますが、世の中が複雑でなかった時代の表現形式であり、狭い共同性社会での共通の認識という前提があってこそ成立しているのだと考えています。
松本隆は歌詞こそ、時代を反映する表現であり、アカデミックな批評などではなく大衆に受けることこそ重要だ、という意味のことを言っていました。
それは、作詞家としての誇りの表明であり、大いに結構なことだと思いますが、歌詞はメロディーと組み合わさり、さらには歌手によって歌われることで、ほと んどまともな理解を得られず表面的なかっこよさだけで売れてしまうという「恐るべき、言葉の地位低下」をどう思っているのか、私があの場にいたら質問した でしょうね。
たとえば、「パープルミステリー」と「秘密の森」を比較して見ればよい。
「パープルミステリー」は、歌詞としてはほとんど意味性が希薄ですが、曲は大衆受けするし、意味希薄だからこそ「ロマンスィング・ミステリー」のような派生商品を生み出す元となり、売り上げも多い。
それとは逆に、「秘密の森」を真っ当に理解する大衆というものは存在しないでしょうね。
「恐るべき、言葉の地位低下」以外の何物でもない、と思いますが。
かといって、「詩の読者は、詩を書く人である」という吉本の言葉も事実です。
ですから、わたし的には大衆に信を置くことも、孤高の芸術家に信を置くことも、「俺のハートがノーという」としか、言えないな。
そのいきさつは、彼女のデビュー曲となったCM曲を偶然聴いて、この歌手なら自分が思い描くような歌詞とフィーリングが合うのではないかとピンと来たそうです。
その後、先方のスタッフから作詞の話がやってきたのだとか。
松本が作詞家になったのは「はっぴいえんど」が解散して、生活のために音楽プロデューサーという仕事に就いたのだけれども、当時はプロデューサーという仕事自体が出来たばかりのころで、兼業的に作詞を手がけるようになったのだそうです。
彼が1981年大滝詠一に書いた『A LONG VACATION』の大ヒットについて、(ロックの世界にいた大滝を歌謡曲の世界に引っ張り込んだ訳ですけれど)イヤならば彼が拒否するでしょうか ら、(やったと言うことは)受け容れてくれたと言うことでしょう、と述懐していました。
佐野元春が、(作曲家でもある大滝と仕事をする場合)歌詞が先なのか、メロディーが先なのか?と問いただしたところ、「当時はすべて歌詞を先に作ったものだ」と発言していました。そして、これ(曲に歌詞をつけること)は日本独特の文化だと、外国の詩人から指摘されたとも語っています。
時代的なものがあるわけですね。
私の年代ですと、北原白秋の童謡とか、竹久夢二の大正ロマンとか、島崎藤村や西條 八十の日本の歌とか、高名な詩人の詩に曲をつけるというのが当たり前でしたから。
このスタイルが覆される大きなキッカケとなったのは1960年代の海外(アメリカ、イギリス、フランス、イタリア)POP's の大量流入ではないかと思う。
その原動力となったのは、フジテレビがキングレコードのザ・ピーナッツを起用してスタートした「ザ・ヒットパレード」という海外ポップス中心の歌番組でした。
このザ・ピーナッツを発掘したのは渡邊晋のジャズバンド「シックス・ジョーズ」でピアノを弾いていた宮川泰(ひろし)です。
バンドのドラマーだったジミー竹内の手引きで二人を知り、渡辺晋を引っ張っていき歌を聴かせ、面接するよう進言している。面接はほとんど宮川が行い、渡邊家でのレッスンも宮川が引き受けた。
「ヒッパレ」のスポンサーは渡辺プロダクション、番組ディレクターはすぎやまこういちで、自分たちが手塩にかけて育てたザ・ピーナッツのバックバンドとして渡辺晋・宮川泰が演奏して、今日のJPOPの礎を築いたといってよいでしょう。
この「ザ・ヒットパレード」では、それまであまり馴染みのなかった海外POPSが次々に紹介されて、私たち日本人視聴者の音楽観に大きな影響を与えまし た。番組のウリは毎週新曲を紹介するというもので、歌手は短期間で歌詞とメロディーを覚えて、かつ十分に歌いこなすという厳しいものがあったようです。
当時、わたしは外国人が歌を歌うということを想像したこともなく、学校で学ぶクラッシック音楽だけしか知りませんでした。それで、ふと父親に「外人も歌を歌うの?」と尋ねたことがあったくらいですから。どんな歌を歌うのだろうと、興味シンシンでした。
それが、1.2年もたたないうちに1959年アルペンスキー三冠王のドイツ人トニーザイラーが『白銀は招くよ!』を歌って、日本でも大ヒットし、初めて海外POPSを知った次第です。
(追記8/26 本日訃報が伝わりましたね。ドイツ語で歌を歌っていましたので、ドイツ人かと思っていましたが、オーストリア人でした。オーストリアはドイツ語・フランス語・イタリア語圏に分かれています)
さて、大量に流入した海外ポップスですが、その訳詞を担ったのが漣 健児(さざなみ けんじ)本名:草野 昌一(くさの しょういち...シンコーミュージック・エンタテイメント元会長)と、謎の訳詞者であった音羽たかし&あらかはひろしです。
漣 健児の代表作は、坂本九「ステキなタイミング」、飯田久彦「ルイジアナ・ママ」、中尾ミエ「可愛いベイビー」など。「ブーベの恋人」の訳詞も漣です。
彼の訳詞の特徴は、メロディーに合わせて訳しにくいところは原語のまま生かした和英混合歌詞で、今日シンガー・ソング・ライターがよくやる英語混じりの歌詞は、60年代POPSではごく当たり前のスタイルでした。
「あの娘(こ)はルイジアナ・ママ...From New Orleans」...フラニュオリン!なんて、意味も分からず小学生の私なども歌っていました。
また、ザ・カーナビーツの「オブラディ・オブラダ」などのように、訳しにくくかつ原語が難しい表現をしていて日本人には理解できない箇所は、メロディーを変えてしまうという大胆な改変もやってのけたりして、毀誉褒貶を受けるところがあります。
この自由闊達な訳詞が一世を風靡して、キングレコードの「音羽たかし&あらかはひろし」が出現するキッカケになったかと思います。
ザ・ピーナッツ「コーヒー・ルンバ」の作詞は、音羽たかし、「シンデレラ」の作詞は、あらかはひろしですが、二人とも作詞家ではなくキングレコードの社員のペンネームだという。作詞家の代打みたいなもので、代打要員は複数いたのではないかとも言われています。
「音羽」というのは、キングレコードの親会社である講談社があった東京都文京区音羽から取ったもので、坂道を上った高台にあるから「高し」→「たかし」となり、
「あらかは」というのはキング・レコードの制作工場が荒川区にあり、広い敷地があったので「広し」→「ひろし」だと。
ですから、音羽たかしは講談社の海外出版物邦訳の部門からの出向者であろうと推測されますし、あらかはひろしはキングレコードの社員だったのかもしれませ んね。海外POPSは著作権がシビアで版権も高いので、訳詞を社内でまかなわないと採算がとれないという事情があったようです。
いずれにしても、海外POPSの元歌に歌詞をつけるというやり方が急速に普及して、やがて訳詞だけでなく、音楽育ちの若手作曲家が曲先でメロディーを作り、そのメロディーにあわせて歌詞をつけるというスタイルが定着していったのかと思います。
そう考えますと、山上路夫のような大御所ともなると、作詞が先にあって作曲家がメロディーをつけるという伝統的スタイルに馴染んでいるために、歌詞が先というスタイルが多いというのもうなずけます。
それで、松本隆の話の印象では、作詞家はそれほど作曲者や歌手に細かい指示を与えたりしないようなニュアンスでしたが、それは相手が同じ釜の飯を食った作曲家・歌手の大瀧詠一だったからなのか...
今晩、松田聖子についての放送があります。興味のある方はご覧になってはいかがでしょう。
(つづき) 8/15
松本隆の松田聖子評、そうだろうなと思います。
昔、誰かの本を読んでいて、その人の娘さんが松田聖子が出演している番組を熱心に見ているので、おやおやと思ったそうです。
当時、松田聖子はブリッ子という評判がほぼ定着して、自分の娘がそのブリッコぶりにハマッているのか...と思ったようです。
ところが、その娘さん「完璧な演技力ね!」と、その表現力の高さに感心したということでした。
松本隆が評したのも、その点ですね。全身で表現出来て、巧まずとも足の爪の先までそれが行き届くひとだと。
松田聖子は、ファンが今何を求めているかを肌で感じて、それに瞬時に対応するという感性の持ち主でした。
少し驚いたのは、レコーディングの当日歌詞を渡し、ディレクターがメロディーを口ずさむだけですぐに歌詞とメロディーを覚えてしまい、事前練習はテイク3 くらいでOKということですね。それでいて、松本隆の屈折した心情が込められた歌詞を深く感情を込めて歌いきることができた、と。
松本は「天才としか言いようがないですね」と、語っていました。
私がその手の話を聞いたのは美空ひばりくらいでしたね。この人は、歌詞を読んで、メロディーを聴いて、一発で仕留める...テイク1でOK。よほどのことがない限り、歌い直しはない、ということでした。
松本隆の話でひとつ注釈をつけておきたいと思いますが、慶応大学の女学生が「作詞はマーケティングだと思っている」という話に、松本は「マーケティングは時代の後追いだ」みたいなことを答えていましたが、行き違いがあります。
松本が述べているのはマーケティング・リサーチのことですね。
これは、市場調査ということで、マーケティングとは全く別物です。
慶応の女子学生は聴衆やリスナーをファン化するマーケティング戦略という意味で言っているのではないかと、私は思いますので、二人の間に意見の相違はないと考えます
時代を感じるアンテナの感度を高くして、感じ取るというのはマーケティングでは基本的なことですので、いわゆる科学的市場調査法のマーケティング・リサーチの話ではないということです。
松本隆は、感性を磨き、人間としての内面を豊かにするために図書館の本を端から順に読んでいく、つまり好みとか関心にとらわれずジャンルを問わず乱読した、ということを述べていますね。
私も、知的好奇心とか言ってごまかしてはいますけれど、エロ本から宗教・哲学書まで何でも読んできましたね。そのような圧倒的量のインプットがなければ、アウトプットはありません。
松本隆はプロですから、一日二四時間、年間365日作詞者として頭を使っていますから、いつでもどこでもひらめくことがある、と。
自然に任せると言ってますが、じつはそれは頭の基本的な機能のあり方です。
一つだけ意見が合わない感じなのは、男女の考え方に違いはない、という考えですね。
男の松本隆が、女性はこう思うのではないかと勝手に想像して書いたことを、女性がまさにそうだと評価してくれると言っています。
「キスはイヤよは反対の意味」という歌詞が例に挙げられていましたね。(女学生の質問で)
これは、松本隆という作詞家が、女性性を多く残しているからだと、わたし的には考えています。
男にも本来は女性性が備わっているのですが、成長する過程で、男はこうあらねばいけない式の意識付けや男性原理社会(企業など)で女性性がキズつき、そういうものを自分の意識から追い出すことで男性(おとこせい)として成熟していくわけです。
松本はキズつきながらも、自分の中の女性性を鈍磨させたり捨てたりせずに育ってきた、ということだと思う。
これはミュージシャンから作詞家になっていった生き方が、そういうことを可能にしてきているのであって、団塊世代の猛烈社員企業戦士として定年退職まで行ったとしたら、「飯、風呂、寝る」しか妻に言えない男になっている可能性の方が遙かに高いはず。
たとえば私の兄は謹厳実直な銀行員のキャリアを送り、そういうタイプの人間になってしまい、すぐ近くに住んでいますけれども話が合わず、もう40年くらいほとんど付き合いもありません。
私は男性性と女性性というものを二分法では考えて居らず、右から左までシームレスだという前提で、男というもの、女というものを捉えています。
生命現象というのはすべてアナログ的なシームレスの世界ですので、右か左か、男か女かというデジタル的二分法をわたしははじめから否定していますので、松本と意見が衝突している訳ではありませんけれども、表現的には対立するように見えますね。
わたしはこのような説明不足による食い違いというものを強く意識して嫌いますので、長々と文章を書いてしまいますから、歌詞という短い表現形式に馴染まないものを感じます。
日本には、和歌や俳句という短詞の芸術があるじゃないかと思いますが、世の中が複雑でなかった時代の表現形式であり、狭い共同性社会での共通の認識という前提があってこそ成立しているのだと考えています。
松本隆は歌詞こそ、時代を反映する表現であり、アカデミックな批評などではなく大衆に受けることこそ重要だ、という意味のことを言っていました。
それは、作詞家としての誇りの表明であり、大いに結構なことだと思いますが、歌詞はメロディーと組み合わさり、さらには歌手によって歌われることで、ほと んどまともな理解を得られず表面的なかっこよさだけで売れてしまうという「恐るべき、言葉の地位低下」をどう思っているのか、私があの場にいたら質問した でしょうね。
たとえば、「パープルミステリー」と「秘密の森」を比較して見ればよい。
「パープルミステリー」は、歌詞としてはほとんど意味性が希薄ですが、曲は大衆受けするし、意味希薄だからこそ「ロマンスィング・ミステリー」のような派生商品を生み出す元となり、売り上げも多い。
それとは逆に、「秘密の森」を真っ当に理解する大衆というものは存在しないでしょうね。
「恐るべき、言葉の地位低下」以外の何物でもない、と思いますが。
かといって、「詩の読者は、詩を書く人である」という吉本の言葉も事実です。
ですから、わたし的には大衆に信を置くことも、孤高の芸術家に信を置くことも、「俺のハートがノーという」としか、言えないな。
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