石川ひとみ1981 後輩続々デビューの周辺

  石川ひとみ陣営が満を持してリリースした「夢番地一丁目」でしたが、起死回生の切り札とはならなかった。これだけナベプロがプッシュして、知名度はそれなりに高かったにもかかわらず。

 ナベプロは素早く動いた。まるで「想定済み」の事のように、相次いで4人の新人女性歌手をデビューさせる。もう、「石川ひとみ」なぜ売れないのか分からない、という感じで...。
  一時停止していたナベプロ得意のベルトコンベアーに、スクランブル発進のスイッチが入ったかのようだ。

 旧ファンサイトで、ひっくんが同期ですぐ後にデビューした桑江知子の記事を書いていたのですが、

 「(石川ひとみのデビューから)遅れること8ヶ月、桑江智子さんは79年1月25日「私のハートはストップモーション(竜真知子・戸倉俊一 萩田光夫)」でSMSレコード(ニューミュージック開拓のためナベプロが作ったレーベル)よりデビューします。

 このレコードは15万枚を売り上げました。(オリコン12位)。
 桑江さんはこの年の年末大晦日の第21回日本レコード大賞で最優秀新人賞を獲得。
 (竹内まりやを抑えての獲得。)

      (以下WIKIより引用)
      桑江さんは、ナベプロが若者のニューミュージック指向を高めようと立ち上げた
      NON STOPプロジェクトの一員である。
      売り出しには渡辺プロダクションのプロフェッショナルな仕事があった。


 ...これを見るとナベプロは桑江さん売り出しに関しては、戦略をじっくり練っていたように見えます。」


 ナベプロが一所懸命やっていたことは、プロの仕事としては当たり前のことだ、とひとこと言えば済む。
 けれども、きちんと分かっていないようなので明確にしておくと、プロダクト・アウトの発想だということ。

 製造メーカー、ナベプロがやっていることは、「大量生産の仕組み」を作っているのだよね。
 芸能ビジネスの先駆者たる所以です。

 立派なベルトコンベアを設置したのだけれど、売るための戦略的なものは実に貧弱だと。
 相変わらず、担当プロデューサーが経験とカンで、あれこれ戦術レベルでやっているだけだね。

 戦略というのは外には現れないけれども、全体を一貫して統制しているものなので、桑江知子もデビュー一発で、終わってしまった結果を見れば、優れた戦略を練っていたなどとはお世辞にも言えない。

 NON STOPプロジェクトプロフェッショナルに成し遂げたことは、粗製乱造を促成濫造レベルに引き上げた、ということくらいかな。

schedule1981-3&9.gifkouhai4nin.jpg 新しいタイプの演歌歌手として若杉ひと美
 デビュー:1981年3月5日 「ヨシオちゃん」

 第二の石川ひとみと期待が大きかった沢田富美子
 デビュー:1981年4月1日「ちょっと春風」

 スポーツ万能で、豆ダヌキふう(ひとみ似)の和泉友子
 デビュー:1981年6月21日「青い水平線」

 どこにでもいそうなお嬢さんタイプの速水陽子
 デビュー:1981年8月1日「い・か・が」

 この中でナベプロがもっともプッシュしていたのは沢田富美子でしたが、オリコン100位に入ることはなかったようです。


 それで、最後発スタートだった速水 陽子の「い・か・が」が100以内に滑り込む健闘をを見せる。
 ナベプロは新人賞取りに期待を抱いて、自社タレントお披露目番組の「お化けのサンバ」に出演させることにしたようです。

 しかし、8月デビューでは遅すぎます。
 速水 陽子は不運でしたね。

 けれども、石川ひとみの潜在的ポテンシャルの高さに比べうる後輩はいないのでは、と思います。

 石川ひとみを売り出す能力のないプロダクションに、彼女たちを売り出せるとは思えません。


 ナベプロは1978年(79?)、東京音楽学院福岡校が強力に推薦した蒲池法子を、御脚の形がよろしくない(▽▽マタ)という理由で、不採用にしているそうです。

 蒲池法子のデモテープをしっかりとチェックしていたなら、そんな欠点はぶっ飛ぶほどのものを持っていることに気づかなかったのだろうか。
 写真だけを見て、脚の形がどうのと...それが重大な欠点だとしたら、なぜデビューしてあっという間にアイドルの頂点にまで駆け上がることができたのか、ね。

 いずれにしても、もし...
☆法子と石川ひとみが同じナベプロだったら?
 両雄並び立たず、ということになったのだろうか...

☆石川ひとみがサンミュージックで、蒲池法子がナベプロだったら、どういうことになっただろうか?


 この想像は面白い!
 石川ひとみこそ、類い希なるアイドルとしてHiromi Gou と一緒になったかもしれないわけだ。
 あくまでも if の話ですけれど。

 あるいは、蒲池法子がナベプロに入ったとしたら?
 彼女がイナダ(ブリの子ども)に変身する様を見て、石川ひとみは、意地でも大人の女の歌を歌うわ!といって、「ひとりじめ」も「きみは輝いて天使に見えた」も「にわか雨」も世に出ることはなかったかも...。(話が脱線した)


 それにしても、この状況と最後の切り札「夢番地一丁目」の意外な不振で、後輩続々デビューは当時のファンの目にも、ポスト石川ひとみの動きと映ったようです。

 さすがの頑張り屋ひっちゃんも年貢の納め時か、という心境になったのかもしれません。
 最後のなごり雪として選んだのが「まちぶせ」だった。

 
 
 左側のスケジュール比較を見てください。

 石川ひとみ1981年3月と9月(『まちぶせ』前と後)のスケジュールですが、密度も質も違いますね。

 「ドッキリカメラ」については、「ファンインタビュー」で取り上げています。

 石川ひとみ「まちぶせ」が動き出したことにより、後輩4人は横波を受けてしまったようです。


NaomiKokubo.jpg

 ちなみに、ナベプロは1982年に水野きみこを 『私のモナミ』でデビューさせています。
 写真でわかるように、完全に松田聖子路線ですね。
 1983年6月には、松田聖子そっくりと言われた小久保尚美をデビューさせています。
 (小久保尚美さんは、あの世界の競輪王である中野浩一氏と結婚)


 蒲池法子がダメで、水野きみこや小久保尚美がOK、デビューとはいったいどういう考えなのか、訊いてみたいぞ。

 蒲池法子の御脚(みあし)と水野きみこ&小久保尚美の御脚と、どこがどう違って、どこがどうOKなのかNOなのか、200字以内で説明せよ、なんてこと言いたいね。

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