『まちぶせ』以前には、想像以上に知名度が低く、歌番組の司会者にまで石川さゆりサンですと紹介されたことのある石川ひとみ。ところが、『まちぶせ』がヒットし始めてからは、たちまちのうちに芸能ネタのターゲットにされる。
ネギを抱えて買い物をしていたひとみちゃんですから、ゴシップの怖さを知らなかったのでしょう。
ネギを抱えて買い物をしていたひとみちゃんですから、ゴシップの怖さを知らなかったのでしょう。
遠山一彦の記事の続きをピックアップしてみます。
「21歳にもなって恋人もいないのはおかしいと言うなかれ。彼女のようなタイプの芸能人というのは、レンアイはするよりはしない方がファン離れを防ぐことになる。」
回りくどい言い方ですが、恋愛しないことがファン離れをさせないことになる、という意味ですね。
それにしても、彼女のようなタイプというのは、どういう意味なのだろう。
たとえば松田聖子は、NHKのレッツゴーヤングの最中に、田原俊彦とのお別れ(神田正樹との結婚前日のの映像だとか)を見せてしまってますけど、聖子はレンアイした方がファン離れを防げる、とか?
↓↓(I will follow you. ちょぴり気が弱いけど素敵な人だから、といってトシの肩に手をやる聖子。
「赤いスイートピー」も勝負歌だったのだ!「もう泪が止まらなくていい」というタイプだね)

でも、「白いパラソル」で聖子ちゃんとトシが相合い傘をした時は、抗議が殺到したらしいけど。
恋愛体質の聖子はファンが応援したくなる?
NHKの歌番で開始2曲目でメロメロでしたから、のめり込みやすい人なのでしょう。
リハーサルのときからの伏線があるのでしょうけど...。
このようなアイドル勝負曲を歌っているSeiko はレンアイしてもOKだと...。
(泣き顔で、一回振り向くのがSeiko 流か...メモしとかなきゃ。そのあと、首をかしげる、っと。)
途中で、泣いている聖子の手をトシが握って励ますシーンで、ファンの声が一段と高まりましたが、あれは悲鳴なのか、はやしているのか、応援しているのか分かりません。
(このひとみちゃんの髪型、パーマかけに失敗してゴムバンドで止めて何とかまとめました風です。
『Tenderly』の頃か?)
(石川ひとみの方が背が高いと思っていましたが、身長は松田聖子160cm 石川ひとみ154cm なんですね)
松田聖子とは対照的に、優等生タイプの石川ひとみはレンアイをすると、ファンにそっぽを向かれると言いたいわけだね。
まあ、ナベプロは天地真理以降、アイドル・セクシー路線をとっていて、石川ひとみは1979年頃から脱いでいますけど、ヌードはいいけど、レンアイ・ゴシップは彼女には芸の肥やしにならないとか?
よく分かりませんが、深夜のミーティングを見て、歌手石川ひとみに「強い女」のイメージを遠山が抱いたのかもしれません。
「しかし、売れない時代はやはりさびしい。
そこで公私共の相談相手として、ある男性の存在が週刊誌にスポーツ紙にレポートされた。(中略)
ちょうどある音楽祭の会場に、わんさと報道陣が押しかけたことは記憶に新しい。
そこで、ひとみをガードしようと、ナベプロの人間が、カメラマンを突き飛ばした話まで報道されたが、これも、やっとスターにしかかっている彼女を、どうしても守らなければ...という、ナベプロの必死さの現れだろう。」
記憶にありません。
この時はまだ山の中にいたか、横浜で朝の6時から夜の10時まで仕事をしていたかでしたので、スポーツ紙も週刊誌も読んでいませんね。
「そういう関係になってしまったということは、今更、否定してもはじまらない。大事なのは、これからの彼女の歌手活動にどんな影響をあたえるか、ということではなかろうか。
石野真子のように、好きな人が出来たからバイバイというのなら話は別。
ハッキリ言って、これまでのファンは冷淡なところを見せるだろう。問題なのは、人気の増大、キープである。今の曲は初めての大ヒットとなった。さあ、次の曲のヒット作戦だ。
次の曲が大ズッコケ大会だと、「プライバシーでそうなった」という烙印を押されがちである。
もし、2曲連続ヒットとなると、本人の実力、人気も本物ということになる。
(中略)
恐いのは、次の曲は不発に終わり、スタッフは「プライバシーでつぶれた」と決めつけ、本人もやる気をなしてしまう事だ。
芸能人の管理はむずかしい。マネージャーだって、私生活までチェックできぬ。
大衆芸能というのは、底が浅いといってしまえばそれまでだが、人気が実力より勝つ。
スキャンダルで人気ダウンなら、もう前途は厳しいと言わざるを得ない。」
アイドルはプライバシーまで関心を持たない方がいいですが、あくまでも憶測の部分がありますので、事実はどうなのかは分かりません。かといって、誰も事実を確認することはできないでしょうね。
1979年から『まちぶせ』の頃まで、悩む石川ひとみを励まし、カウンセラーのように辛抱強く話を聞いたという杉山ですから、夜を徹して話を聞いたり、曲のディスカッションをしたり、というのはあったわけです。
でも、それ以上ではない、と私は思うな。
「男の人はそれでもイイかもしれませんが、女性の場合は結婚するまで(バージンは)守らなくては!当然です。」と言っているひとみちゃんですから、それを素直に信じた方が良い。
石川ひとみとしては、やましいことなどなかったので、ゴシップのネタにされるとは思っておらず、不注意だったのでしょう。
彼の方も、「ほほえみコンサート」は会社の大事な仕事ですから、うかつなことで歌手石川ひとみという商品の価値を台無しにするようなことは経営を最優先する社長としてあり得ない話だと、私は判断するけどね。
当時の芸能雑誌は、売れさえすれば何でもいいという感じで、プライバシーや個人情報保護の意識など皆無でしたから、都合の良いところだけ集めて、記事を書いているなと思う。
芸能人の対談などという記事は、写真だけ撮って後は記者が作文を書くのが当たり前という実態でしたから。
渡辺晋は天地真理のゴシップ騒動に懲りて、全きイノセント・アイドル路線の限界を知り、免疫療法作戦を思いついたのではないか、と私は推察しています。
夢を売るアイドルとはいえ、恋愛を禁止したり、監視したり、やめさせたりは不可能だと。
そのような人権無視はできないので、ならば根も葉もないゴシップで手痛いダメージを食らうよりは、セクシーイメージ免疫路線あるいは減感作路線を行った方が、結果として被害は小さい、と。
そう考えてみると、ナベプロが天地真理ゴシップ以降、アイドル・セクシー路線を取り始めたのは、時代の波ということと同時に、それに便乗して免疫路線に方向転換したのだろうなということが、了解される。
ところが、石川ひとみの場合は、無垢な少女世界を裡に秘め続けているために、セクシー路線にどうしても染まらない部分があるようですね。その辺を、遠山は「彼女のようなタイプは...」と評しているのだと思う。
だったら、松田聖子と郷ひろみのゴシップの時のように、「天国で一緒になろうって、約束して(別れました)...」とか、涙の記者会見でもやってしまったら?
いずれにしても、石川ひとみちゃんにアイドルの、そして大人のラブソングを歌ってもらいたいと願う大多数のファンとしては、より良い歌手たれと望むことが一番ですので、大人の恋を知ったのであれば、ひとみちゃんを喜ぶべきなのだろうね。
実際は、あくまでも「困ったよい子」の石川ひとみですから、「他で遊んでも、私は(結婚するまで)ダメです」と、頑固だったろうな、と。
そういう規範の部分は親から受け継いだものを自分の信条としている、見かけによらない頑固な芯が通っている人だから...。
でも、生真面目歌手石川ひとみ、自分の殻を破って深い経験をしないと、歌のうまさだけでは人を感動させることはできませんから。
過剰な思い入れをせずに、身の丈にあった思い入れしかしない歌手石川ひとみだと思いますので、そのへん大いに枠を広げないと、歌の世界も広がらないと思います。
レンアイ御法度のアイドルのままでは、大人の歌など永遠に歌えるはずがない。
とても、秋元順子「糸を引くようなキス...」なんて、本格的な恋愛歌はムリっぽい。
...と、今だから、言え るかな。
しかし、マスゴミが常套的にやらかすゴシップとはいえ、イメージダウンは大きいものがありますね。
「くるみ割り人形」派の第一次ファンは79年-80年に半減して、81年のゴシップでほとんど凍死してしまったのかもしれないな?
「三枚の写真」はひとみ陣営が最大のエネルギーをつぎ込んだにもかかわらず、売り上げ六分の一以下に激減してしまったノダ。
私のように、遠くから見守っているファンはだいたい何も知りませんから、全然関係ないナー。
だから、相変わらず、ほとんど化石かシーラカンスのようにごくまれに生存しているとか?
「21歳にもなって恋人もいないのはおかしいと言うなかれ。彼女のようなタイプの芸能人というのは、レンアイはするよりはしない方がファン離れを防ぐことになる。」
回りくどい言い方ですが、恋愛しないことがファン離れをさせないことになる、という意味ですね。
それにしても、彼女のようなタイプというのは、どういう意味なのだろう。
たとえば松田聖子は、NHKのレッツゴーヤングの最中に、田原俊彦とのお別れ(神田正樹との結婚前日のの映像だとか)を見せてしまってますけど、聖子はレンアイした方がファン離れを防げる、とか?
↓↓(I will follow you. ちょぴり気が弱いけど素敵な人だから、といってトシの肩に手をやる聖子。
「赤いスイートピー」も勝負歌だったのだ!「もう泪が止まらなくていい」というタイプだね)

でも、「白いパラソル」で聖子ちゃんとトシが相合い傘をした時は、抗議が殺到したらしいけど。
恋愛体質の聖子はファンが応援したくなる?
NHKの歌番で開始2曲目でメロメロでしたから、のめり込みやすい人なのでしょう。
リハーサルのときからの伏線があるのでしょうけど...。
このようなアイドル勝負曲を歌っているSeiko はレンアイしてもOKだと...。
(泣き顔で、一回振り向くのがSeiko 流か...メモしとかなきゃ。そのあと、首をかしげる、っと。)
途中で、泣いている聖子の手をトシが握って励ますシーンで、ファンの声が一段と高まりましたが、あれは悲鳴なのか、はやしているのか、応援しているのか分かりません。

『Tenderly』の頃か?)

松田聖子とは対照的に、優等生タイプの石川ひとみはレンアイをすると、ファンにそっぽを向かれると言いたいわけだね。
まあ、ナベプロは天地真理以降、アイドル・セクシー路線をとっていて、石川ひとみは1979年頃から脱いでいますけど、ヌードはいいけど、レンアイ・ゴシップは彼女には芸の肥やしにならないとか?
よく分かりませんが、深夜のミーティングを見て、歌手石川ひとみに「強い女」のイメージを遠山が抱いたのかもしれません。
「しかし、売れない時代はやはりさびしい。
そこで公私共の相談相手として、ある男性の存在が週刊誌にスポーツ紙にレポートされた。(中略)
ちょうどある音楽祭の会場に、わんさと報道陣が押しかけたことは記憶に新しい。
そこで、ひとみをガードしようと、ナベプロの人間が、カメラマンを突き飛ばした話まで報道されたが、これも、やっとスターにしかかっている彼女を、どうしても守らなければ...という、ナベプロの必死さの現れだろう。」
記憶にありません。
この時はまだ山の中にいたか、横浜で朝の6時から夜の10時まで仕事をしていたかでしたので、スポーツ紙も週刊誌も読んでいませんね。
「そういう関係になってしまったということは、今更、否定してもはじまらない。大事なのは、これからの彼女の歌手活動にどんな影響をあたえるか、ということではなかろうか。
石野真子のように、好きな人が出来たからバイバイというのなら話は別。
ハッキリ言って、これまでのファンは冷淡なところを見せるだろう。問題なのは、人気の増大、キープである。今の曲は初めての大ヒットとなった。さあ、次の曲のヒット作戦だ。
次の曲が大ズッコケ大会だと、「プライバシーでそうなった」という烙印を押されがちである。
もし、2曲連続ヒットとなると、本人の実力、人気も本物ということになる。
(中略)
恐いのは、次の曲は不発に終わり、スタッフは「プライバシーでつぶれた」と決めつけ、本人もやる気をなしてしまう事だ。
芸能人の管理はむずかしい。マネージャーだって、私生活までチェックできぬ。
大衆芸能というのは、底が浅いといってしまえばそれまでだが、人気が実力より勝つ。
スキャンダルで人気ダウンなら、もう前途は厳しいと言わざるを得ない。」
アイドルはプライバシーまで関心を持たない方がいいですが、あくまでも憶測の部分がありますので、事実はどうなのかは分かりません。かといって、誰も事実を確認することはできないでしょうね。
1979年から『まちぶせ』の頃まで、悩む石川ひとみを励まし、カウンセラーのように辛抱強く話を聞いたという杉山ですから、夜を徹して話を聞いたり、曲のディスカッションをしたり、というのはあったわけです。
でも、それ以上ではない、と私は思うな。
「男の人はそれでもイイかもしれませんが、女性の場合は結婚するまで(バージンは)守らなくては!当然です。」と言っているひとみちゃんですから、それを素直に信じた方が良い。
石川ひとみとしては、やましいことなどなかったので、ゴシップのネタにされるとは思っておらず、不注意だったのでしょう。
彼の方も、「ほほえみコンサート」は会社の大事な仕事ですから、うかつなことで歌手石川ひとみという商品の価値を台無しにするようなことは経営を最優先する社長としてあり得ない話だと、私は判断するけどね。
当時の芸能雑誌は、売れさえすれば何でもいいという感じで、プライバシーや個人情報保護の意識など皆無でしたから、都合の良いところだけ集めて、記事を書いているなと思う。
芸能人の対談などという記事は、写真だけ撮って後は記者が作文を書くのが当たり前という実態でしたから。
渡辺晋は天地真理のゴシップ騒動に懲りて、全きイノセント・アイドル路線の限界を知り、免疫療法作戦を思いついたのではないか、と私は推察しています。
夢を売るアイドルとはいえ、恋愛を禁止したり、監視したり、やめさせたりは不可能だと。
そのような人権無視はできないので、ならば根も葉もないゴシップで手痛いダメージを食らうよりは、セクシーイメージ免疫路線あるいは減感作路線を行った方が、結果として被害は小さい、と。
そう考えてみると、ナベプロが天地真理ゴシップ以降、アイドル・セクシー路線を取り始めたのは、時代の波ということと同時に、それに便乗して免疫路線に方向転換したのだろうなということが、了解される。
ところが、石川ひとみの場合は、無垢な少女世界を裡に秘め続けているために、セクシー路線にどうしても染まらない部分があるようですね。その辺を、遠山は「彼女のようなタイプは...」と評しているのだと思う。
だったら、松田聖子と郷ひろみのゴシップの時のように、「天国で一緒になろうって、約束して(別れました)...」とか、涙の記者会見でもやってしまったら?
いずれにしても、石川ひとみちゃんにアイドルの、そして大人のラブソングを歌ってもらいたいと願う大多数のファンとしては、より良い歌手たれと望むことが一番ですので、大人の恋を知ったのであれば、ひとみちゃんを喜ぶべきなのだろうね。
実際は、あくまでも「困ったよい子」の石川ひとみですから、「他で遊んでも、私は(結婚するまで)ダメです」と、頑固だったろうな、と。
そういう規範の部分は親から受け継いだものを自分の信条としている、見かけによらない頑固な芯が通っている人だから...。
でも、生真面目歌手石川ひとみ、自分の殻を破って深い経験をしないと、歌のうまさだけでは人を感動させることはできませんから。
過剰な思い入れをせずに、身の丈にあった思い入れしかしない歌手石川ひとみだと思いますので、そのへん大いに枠を広げないと、歌の世界も広がらないと思います。
レンアイ御法度のアイドルのままでは、大人の歌など永遠に歌えるはずがない。
とても、秋元順子「糸を引くようなキス...」なんて、本格的な恋愛歌はムリっぽい。
...と、今だから、言え るかな。
しかし、マスゴミが常套的にやらかすゴシップとはいえ、イメージダウンは大きいものがありますね。
「くるみ割り人形」派の第一次ファンは79年-80年に半減して、81年のゴシップでほとんど凍死してしまったのかもしれないな?
「三枚の写真」はひとみ陣営が最大のエネルギーをつぎ込んだにもかかわらず、売り上げ六分の一以下に激減してしまったノダ。
私のように、遠くから見守っているファンはだいたい何も知りませんから、全然関係ないナー。
だから、相変わらず、ほとんど化石かシーラカンスのようにごくまれに生存しているとか?
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