石川ひとみ 「ひとりぼっちのサーカス」

 石川ひとみ 『ひとりぼっちのサーカス』(1979/4/21)作詞・作曲:谷山浩子、編曲:大村雅朗

 谷山ワールドといって良いユニークな歌をたくさん作詞・作曲している谷山浩子さんの曲です。

 4作目は石川ひとみちゃんの名曲といって良い『ひとりぼっちのサーカス』をリリースします。
 いちファンとしては、泣きたくなる曲です。そして、「ちょっと待って!」とさえぎりたくなる...
 石川ひとみニューミュージック路線『あざやかな微笑』の予想外の不振は、基本的なプロデュース戦略に間違いがあって、何かが狂ってしまったことをはっきり自覚するきっかけになるのでは、と常識的には考えるでしょう。しかし、プロデューサーは独特のアイドル超越路線の大輪ですから...

 そして3ヶ月後にリリースされたのが『ひとりぼっちのサーカス』です。

 
YouTube - 石川ひとみ 『ひとりぼっちのサーカス

 いい曲です。レコードだけを聴いていれば...。
 何も知らなければ、この曲のうわべしか分からない。
 けれど、知れば知るほど、ここから離れられなくなる魅力がある。

 この曲は、不倫の歌とも受け取れるし、純愛の歌とも受け取れる。
 

 アイドル松田聖子なら間違っても、絶対に歌わない路線でしょう。
 ピュアでイノセント(無垢)なイメージをセルフ・プロデュースしている聖子は、そのイメージを大切にして、ファンの期待を裏切らない。
 明確なイメージ戦略とアッピールがあります。


 優しい奥さんがいる男との不倫で、日陰の女であることに耐える女性...いいですよ!オジサン的には。

 しかし、「日陰の女であることに耐える、ひとみちゃん」というイメージは、ファンとしてはあり得ない。
 ひっちゃん自身が、自分とはかけ離れたイメージの女性、と言い訳?をしているくらいだからね。

 「ごめんねと言って帰った...」ひとみちゃんの歌声にぐっときますが、はっと我に返って、「冗談じゃない!そんなずるい罪なことをする(あなたっていう)ヤツは、どこの馬の骨だ?」と架空の男を罵倒するひとりごとを、心の中で言いたくなるな。

 それほど、気持ちに訴えてくる。
 歌唱力が遺憾なく発揮されている。

 なのに、歌詞を読み込むと、

 ピュアでイノセントなイメージとは正反対の、かりそめの愛と性にすがっている女というイメージが見え隠れして、良い曲だけれどもひとみちゃんに似つかわしくない、とファンは感じてしまうだろうね。

 この曲は3歳年上の谷山浩子(1956年生まれ)さんの作詞・作曲ですが、谷山さん自身は3年後の1982年に、この曲を出しています。ひとみ版とは少し歌詞が違います。
 しかし、この違いは、決定的にあることを分かつものがあると、私は思います。

  あなたが帰った後の 私の部屋には 
  汚れた灰皿 散らかしたままのトランプ

  ごめんねと言って帰った ごめんねと言ってあなた
  ひとの気持ちも知らないで 優しい人が待っていると


  午前零時の 夢つづれ

  もう少しいればいいのに 
  もう少しお茶をいかが お酒もあるのよ  レコードでもかけましょうか?


  あなたがいない あなたがいない ひとりサーカス 夜が更ける

 リフレインの2回目、あなたがいないの谷山浩子さん、哀感のこもった声で素晴らしいです。
 この部分を聴いただけで、純愛の歌というイメージが了解されるナ。
 何か、女の物狂おしさといった、一歩超えれば夜叉の世界になる危うさが、谷山的いじらしさの表現として受け入れられだろう。

 この歌に現れる「あなた」は、たとえば会社の上司とかで、私とは年齢差が大きく開いていて、「私」を子ども扱いするだけの分別ある男という印象。
 女性の部屋でたばこを吸ったり、「優しいヤツが待ってるから」と無神経に言える40男だね。

 一緒にお茶を飲みはするが、酒を勧めても飲んだりしない。ほんのちょこっとだけ、立ち寄ってくれたひと。
「心の欲する所に従えども 矩 (のり) を 踰 (こ) えず」という、ものが感じられます。

 ですから、谷山浩子の『サーカス』は純愛の片思いの歌なのだな、と納得できる。


 一方、石川ひとみ版『ひとりぼっちのサーカス』(レコード版)では、



  あなたが帰った後の 私の部屋には 
  飲みかけ ワインと 散らかしたままのトランプ

  ごめんねと言って帰った ごめんねと言ってあなた
  しんと静かな真夜中は いつもきまってひとりぼっち

  今夜はどんな嘘をつくの 何も知らない優しい人に

  谷山版から削った「もう少し いればいいのに。もう少し...」の部分を、ひとみちゃんは「言って帰った」の感情表現で過不足なく表現している、と言えば褒めすぎでしょうか?
 じーんと迫ります。いい!

 しかし、「何も知らない奥様にどんな嘘をつくの?」という歌詞は、この歌が決定的に不倫の歌だということを顕わにしています。

 谷山版は、「あなた」が[「優しいヤツが待っているので、俺帰るよ」と無神経に言うことで、救いがあった。
 (言うまでもなく、「私」は切ないけれども、この歌を聴くファンの気持ちが救われるということです)


 けれども、「ひとみ版」では私が「どんな嘘をつくの?」問うという形になっている。
 要するに、視点の主客が入れ替わっているのです。
 当然、意味も180度、異なるものとならざるを得ない。

 ひとみ版では、「私」は「あなた」と共犯の不倫をしているわけです。
 これはこれで、罪の意識と切なさがあって、そしてそれを歌い上げているのが他ならぬ石川ひとみなので、どうしても泣けてくるよね。

 けれども、この歌を聴くファンとしては、先に述べましたように「不倫をしている、日陰の女石川ひとみ」というイメージは受け入れたくない。 

 私的な印象かもしれませんが、「飲みかけ ワイン」というのは、洒落たつもりかもしれませんが、だらしない感じがして少しだけ不快感を感じてしまいます。
 この些細なところに表れるだらしなさは、女についてもだらしないもの、というのが私の経験知です。

 谷山版にあった「もう少しいればいいのに」という表現に続くディテールの描写が、短時間の滞在で帰ったということを表しているのに対し、ひとみ版では削除されて、「飲みかけ ワイン」となった。
 これは、ワインを飲みかけにした、何か他の行動があった、ということを暗示しています。
 トランプならワイン片手にできるので、飲みかけになんかしないでしょう?

 さらに言えば、「飲みかけのワイン」があることによって、「散らかしたままのトランプ」の意味が違ってくるのではないか?
 この違いは、見逃してしまいがちですが、大きな違いを内包しているように思う。


 ひとみ版は、トランプをしている最中に「あなた」はカードではなく「私」の手首をそっと引いて、トランプがハラハラと散ってゆく...。

 映画的なシーンであれば、ここでダークアウトしていくわけですね。
 そのようなイメージが出てくるはずです。


 それに対して、谷山版では、もう少しいればいいのにとお茶をすすめたり、お酒をすすめたり...
 「レコードでもかけましょうか」と話しかけるように歌っています。このちまちました部分に、意味がある、ノダ。
 しかし「あなた」は「優しいヤツが待っているから...」と、時計を見ながら言う。

 それを聞いた「私」は、哀しくなって持っていたトランプを、力なく床に落とす。
 そのようなイメージが喚起されます。


 「汚れた灰皿」というのは、普通ならば吸い殻をゴミ箱に捨て、さっと洗ってきれいにしておきたいものだけれども、「私」は愛しい「あなた」の残したたばこの吸い殻さえも愛しく思えて、そのままにしておきたいのでしょう。

 そして、散らばったトランプにも、今日の想い出がまとわりついている。
 このあたりは、「少しでも動いたら 崩れそうになる私の気持ち」を表しています。

 これは、紛れもなく大人の純愛の歌なのだと思います。谷山浩子の詞、さりげなく良いね。

 
 それなのに、ひとみ版では、この大事な点が改変されているわけです。

 「散らかしたままのトランプ」が喚起するイメージの違い
 そういうことを想像させる点で、この歌詞は谷山版とは180度違う状況を表象していると受け止められる。
 その後に、「ごめんねと言って帰った」とあるから、行間を読む私としては、、不快に感じるのだね。

 谷山版に感じられた(超えてはならない一線を守るという)規矩あるいは矜恃みたいなものが、ひとみ版では消失しているかな、と。
 こちらの歌詞には谷山版のような、「わたし」との年齢差を感じさせる要素はなく、分別をわきまえた男のイメージが湧いてこない。
 優しいけれども、それ故に女にだらしないところのある、いい男という感じだ...

 だからこそ、微かな不快感をいちファンとしての私は感じてしまう。(ファンの嫉妬心理でしょうか)


 世上言われているのは、1982年の谷山版は、石川ひとみに提供した「ひとりぼっちのサーカス」のリメイク版だとされる。確かに、谷山版の方が、先に分析したように純愛不倫系で、良い歌です。

 それでは、谷山浩子は石川ひとみに「今夜はどんな嘘をつくの 何も知らない優しい人に」と、共犯的不倫者を演じさせて、自分は純愛不倫よと、取りすましているのだろうか?

 私がみるに、この歌詞は、どうみても谷山浩子の感受性の埒外のものではないのか?と感じる。
(しかし、ひとみちゃんの歌い方が最も魅力的に聴ける部分でもあるので、困る...)


 私は、谷山浩子をほとんど聴いたことがなかったので、知った風なことは言えないのですが、表現者としてそういうことはあり得ない、と思う。

 あるコンサートの会場で、聴衆から「ひとりぼっちのサーカス」をリクエストされ、谷山は「歌詞を覚えていないので、歌えません」と断ったということが、伝わっています。

 現象的な面だけを見れば、「ひとりぼっちのサーカス」は石川ひとみに提供した歌であり、その後セルフカバーした谷山版は「サーカス」ですので、歌詞が違う。だから、歌えないと...。

 けれども、それはあくまでも、表面だけのことではないのか?
 これは、私の推測にすぎないのですが、谷山浩子は当初、石川ひとみに「サーカス」版を提供したのではないだろうか、と思う。

 それに対して、ナベプロが石川ひとみのプロモーション意図にふさわしいように、歌詞の書き直しを要請した。
 あるいは、ナベプロの息のかかった作詞家に手直しをしてもらい、それで谷山の了解を得たのか...

 そういう事情があったのではないかと思う。

 自分の表現を台無しにするような一言半句でも改変をされたら、それは自分の表現としては認めがたい、と思うのが表現者の表現者たるゆえんだ。

 そういうことでもなければ、自分が納得して提供した歌詞を、覚えてないから歌えない、などと馬鹿なことを言うはずがないと思う。歌詞を改変された、あるいは強いられたために、自分の作品としては記憶にとどめるほどの価値がない、として捨てたのではないのかな。


 歌詞はおおむね原型を保っているものの、石川ひとみ版は純愛不倫ではなく、共犯不倫となっている。
 そこが、受け入れがたいものとなった、理由ではないだろうか。


 あまり、解剖しすぎてあからさまにしたくはないのですが、谷山版の「汚れた灰皿」という何気ない言葉には、「命の初夜」というような、思い入れが表象されているのではないかと思う。そして、同時に男への愛しさの表現ともなっている。汚れた灰皿でも、かたづけてしまいたくない......と。

 「夜のブランコ」で象徴的に書いていますが、

   私は夜咲くガラスの花よ あなたの手で壊して
   カケラになって 粉になっても あなたが好きよ、好きよ

 このような、シーンの象徴性を感じます。

 この、歌詞全体を規定している「汚れた灰皿」という基本的メタファーを、「飲みかけ ワイン」と改変しては、残りの90%は原型通りであっても、自分の作品としては認めたくない、そういう根源的な書き換えだった、のではないでしょうか。

 素人的に考えれば、「汚れた灰皿」なんかよりも、「飲みかけ ワイン」の方がイメージがきれいだし、小洒落ていてイイじゃないか、と思うかもしれない、けどね。
 しかし、谷山浩子の感性では、「汚れた灰皿」なのだけれども、あの人と自分が一緒の時をすごした証であり、あの人は帰ってしまった今、この灰皿に残された時間の記憶にでも取りすがらなければ、私の気持ちは崩れてしまう、ということなのだろうね。

 ここには、明確な女心の有り様を表象するストーリーがある、と私は受け止める。
 書き換えたことで、そのような大事なストーリーも、別な物語に変容してしまった、と。


 このエントリーを書くために、インスタントに谷山浩子の歌をチェックしてみましたが、

「夜のブランコ」+「サーカス」+「忘れられた部屋」とつないでみると、一つの物語が見えてくるだろう。

     「夜のブランコ

   初めて会った時に 一目で 恋をした
   誰にも 言わないで 会いに来て 夜のブランコで待ってる
   やさしい人たちを裏切り 嘘ついて 抜け出して 走ってきたの 
   会いに来て 夜のブランコで待ってる

      「サーカス
   
     「忘れられた部屋で

   あなたが だれかと 旅に出た日 忘れられた部屋で

   優しい女と呼ばれることに疲れた私一人きり

   一つだけお願いがあるの 分かってくれるなら
   あの日歩いた 思い出の場所 あの人連れてなんか行かないで


 このような、確固とした谷山浩子のストーリーがあり、世界がある。
 谷山浩子は、その世界を回復するために、自分のオリジナルであった「サーカス」をセルフカバーしたかったのではないのだろうか。

 しかし、石川ひとみの歌として、視点を変えれば、やはり考えてしまうだろう。
 「サーカス」だけを石川ひとみに歌わせるなら、やはり「汚れた灰皿」は誤解を招く表現になる。
 19歳の石川ひとみですから、谷山ワールドのようなものを持ってはいない。

 そのへんの、歌詞修正が拙かったのかもしれない。

 あるいは、ただ単に「洒落た大人の雰囲気作り」の小道具として、ワインに差し替えたのだろうか?

 残念なことに、その部分を私は気に入らないと感じているノダ。
 感性の違う人が、書き換えを行ったとしか思えないな。


 この曲を聴くと、上村一夫の「同棲時代」の雰囲気を思い出させます。
(大信田礼子さんの歌は、若い頃のものがないので紹介しません。)

「さあ、目を覚ませ ナイフに鏡」...ちょっとシュールで、意味ありげでですけれど...女性の歌にナイフが出てくるのは次のこの歌の印象が強烈です。

  北原ミレイ『ざんげの値打ちもない』

  あれは八月暑い夜 すねて十九を越えた頃
  細いナイフを光らせて にくい男を待っていた
  愛と云うのじゃないけれど 私は捨てられつらかった

 どうしても、このイメージが頭にありますので、『ひとりぼっちのサーカス』に後を引いてしまうのですよ。水面下で地続きの列島という感じがします。当時の人間としては、ね。


 谷山ワールドでは、鏡というのは独特の意味を帯びているらしい。
 『王国』の鏡は、隠れている真実の姿を、見えるものにだけ明示してくれる、魔法の鏡である。

 そして、『真っ暗森の歌』では、「卵がはねて、鏡が歌う」というのがあります。ちょっとシュールそしてちょっと狂気の色合いを持っているようです。


 「さあ、目を覚ませ、ナイフに鏡」
 この部分は、谷山浩子を知っていないと、フィーリングが通じないかな。異質性を感じるかも。

 『ひとりぼっちのサーカス』単独では、唐突で脈絡のないアイテムという印象をどうしても感じますね。

 こう見てくると、歌詞提供者の谷山浩子さんの世界を知ることによって、はじめてこの『ひとりぼっちのサーカス』の意味が分かって来るという面があります。それだけ、谷山ワールドの個性が際だっているということですね。 

 もう一度言いますと、谷山浩子の『サーカス』は純愛不倫という世界であり、石川ひとみの『ひとりぼっちのサーカス』は共犯不倫の当事者、というイノセント・イメージのレベルが大きく異なります。

 こうみてくると、もうアイドルはとうに卒業してしまったのだな、と、他のアイドルたちに目がいくよね。
 アイドル石川ひとみちゃんファンとしては『くるみ割り人形』たった一曲を、本当にすり切れるほど繰り返し聴くしかない。

 それで満たされなければ、

★南沙織『哀しい妖精』(1976年)ジャニス・イアン作曲、松本隆訳詞、南沙織加筆
★岩崎宏美 『熱帯魚』(1977)、『思秋期』(1977)
★山口百恵『秋桜』(1977年)、『いい日旅立ち』(78年)

 このような歌謡史に残る名曲が目白押しの状況でした。いずれも、それぞれの歌手の代表曲といっていい曲ばかりです。
 アイドル路線としては石野真子が強力なファン層を獲得。80年には松田聖子、柏原芳恵、河合奈保子が続々登場してくる。

 また、ビジュアル系アイドルとして、

岡田奈々 『手編みのプレゼント』 (1976年)(石川ひとみが好きなのは『青春の坂道』)
木之内みどり  『イマージュ』 (1977年/作詞:松本隆,作曲:谷山浩子)
相本久美子 『TVジョッキー』のマスコット (木之内みどり/相本久美子)
小林麻美 『雨音はショパンの調べ』が代表作

 など、モデル系アイドルも花盛りで、後から振り返るとアイドル全盛時代だった、ということに気がつきます。
 彼女たちが実に細くて、ドレス姿が楚々として見えるのに比べると、やはり1979年のひっちゃん、太めです。

 こういった強力なお姉様たちが群雄割拠するアイドル界で、ポジショニングを確保することは容易ならざることだったはず。


 1979年というのは、デビュー2年目の石川ひとみとしては、本当に勝負の年だったといえるな。
 だから、ナベプロとしてもこの年には、何と4曲+1(プリンプリン物語)ものシングルを相次いでリリースしています。

 しかし、
『哀しい妖精』、『思秋期』、『秋桜』、『いい日旅立ち』と、どっぷりつかってきた者としては、男女の愛憎に「まみれ過ぎている」歌ではなく、これらのような19歳にふさわしい良い歌を石川ひとみに歌って欲しかった。


 いちファンとしては、ね。

 そして、この時期から太り始め、軽やかに笑顔を振りまいて登場していたひっちゃんが、まるで相撲取りのようにノッシノッシと出てきては、思わずうつむきたくなります。

 思春期の一時的な太り現象なのか、あるいはストレス食いによる太り方なのか分かりません。
 この年は「プリンプリン物語」が始まりましたが、声優の仕事は歌も踊りもありませんし、長時間拘束になるので、運動量が不足したのでしょうか。といっても収録は週一回のようですが。

 でも、『ひとりぼっちのサーカス』の、湿り気があって影のあるイメージと、健康的に太りすぎているひとみちゃんとのギャップはちょっと、ちょっと、だね。

 『ミスファイン』の頃まで、この傾向は続きます。シビアな人は、『まちぶせ』の頃になって、ようやく元に戻った、と言う人もいます。

 ひとみちゃんは持ち前の歌唱力で歌い上げていますが、アイドル・ファンとしてはあまり見たくないかもしれないな。細い女性は好まない私個人としては、何の抵抗もないですけれど。

 『ひとりぼっちのサーカス』の売り上げは「くるみ割り」の6分の1に減少しました。
 明らかに、ファン離れを示しています。


 出だしの入りは、曲とひとみちゃんの声とがぴったりマッチして、ふるえるような感動すら感じますが、「ごめんね」あたりで、私と同様に不快感みたいなものを感じてしまうファンが多いのかもしれない。
 本当ならば、最高にジーンとこころに響くところなのですが...。

 今だから、聴いて良い歌だなと思えますが、昔のファンはついていけなかった。

 広い音域、豊かな声量、高音まで突き抜けていく愁い声、サラリとしていて情感をもつ歌い方...
 どれをとっても石川ひとみは一流だなと思う。しかし、

 アイドルひとみちゃん、まだ19歳、『思秋期』の年だからねェ。
 せめて、あと10年後にでも歌ってくれれば、名曲として売れたかもしれしれないのだけど...。


 ナベプロのアイドル養成の時間的スパンは、「花の命は短い。旬のうちに売りまくる」というようなものではなかったかと。10年後なんて、視野に入っていない、というかみんな結婚して引退してしまうのだから、ね。当てにならない、という前提で考えていたのかもしれないな。

 いずれにしても、『くるみ割り人形』ファンの85%はこの曲を買わなかった、という事実。
 ファンが沈黙してしまった意味を分かって欲しいと...

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