このカテゴリーはひとみちゃんの良い曲がなぜ売れなかったのか?という視点で書き連ねています。
曲がヒットするにはいろいろな要素が総合的に作用していますので、簡単には割り切れませんが、一つだけ挙げるとするならば、「初めて石川ひとみが自己主張した」ということだと思う。
曲がヒットするにはいろいろな要素が総合的に作用していますので、簡単には割り切れませんが、一つだけ挙げるとするならば、「初めて石川ひとみが自己主張した」ということだと思う。
石川ひとみは、それまで着せ替え人形のようにあれこれ毛色の異なる曲を与えられ、けなげにそしてひたむきに歌い続けたけれども、思うような成果は得られなかった。
そうこうしているうちに、後輩たちが続々とデビューを果たしていく。
本人はそれをどう受け止めたのか分かりませんが、内心は穏やかではないでしょうね。
傍目には、ナベプロも次の手を打ち始めた始めたな、と。
ですから、石川ひとみとしても腹をくくる気持ちで、新曲にかける決断を下したのでしょう。
区切りの曲だけは自分の希望を強く出したようですね。初めて、自己主張をした。
人を動かすのは、この情熱です。
ディレクターの長岡和弘もひとみちゃんのそれまでにない熱意に感応して、重役たちのプロモーション会議で強くプッシュしたとCD?BOX記事の中で書いています。
彼のセンスも、この曲が石川ひとみに合うということを感じていた、ということでしょうね。
あまり売れなかった三木聖子の『まちぶせ』をカバー曲として、石川ひとみ起死回生の勝負曲に選ぶのはどうか、という意見が多かったそうですが、ひとみちゃんの強い希望、長岡のプッシュで、『まちぶせ』が10枚目のシングルとして採用された。
長岡和弘は後年、この曲への石川ひとみの入れ込みは、そばで見ていてビンビン感じるほどだった。それまでには見られなかった強いものを感じた、という趣旨の事を言っていますね。
4年間の歌手生活で、石川ひとみの気持ちに本当にフィットする曲は片手に余るほどしかない、という思いが彼女自身の中にあったはずです。ひとみちゃんの心にフィットする曲って、どんな曲だったのでしょうか?
彼女自身が挙げている好きな歌を挙げてみると、岡田奈々『青春の坂道』のような、熱い青春もののTVドラマファンで、奈々ちゃんにあこがれたとか。
なるほどね、石川ひとみは純愛路線というくくりではなく、もっと少女っぽくて熱い青春ものというイメージで、『まちぶせ』も考えていたところがあるのかもしれないね。
ふむふむ、中学生くらいの、子どもっぽい無分別あるいは身勝手さが抜けきらない、繊細だけれどもちょっとばかり空気読めないところがある、いたずらぽくおっちょこちょいでもある女の子。
...ひっちゃんて、こういうところあるよね。
「ねえ、みんな、青春って向かっていくものなのよ!」って、本人は本気なのだけど、若い子たちはわざとらしい演技をしていると思っている、とか。
ひとみ版『まちぶせ』は、青春ソングとして歌われた、というのもありかな?上のキーワードの組み合わせで、『まちぶせ』の諸問題をクリアして、歌いきっているノダ!と。
まあ、いいでしょう。
『まちぶせ』と格闘して、疲れたぞ。
この曲であれば、『くるみ割り人形』系のファンも、『ひとりぼっちのサーカス』系ファンも、その他の歌が好きなファンも、最大公約数的な受け入れができます。つまり、受け入れられない部分よりも、納得できる部分の方がずっと多い、ということで支持できる、応援できる、好きになれる。
間口を広げすぎたターゲティングで、ファン層が分散していた状況で、最大公約数的な要素を持った『まちぶせ』をリリースできたのは、本当に幸運だったと思うな。
3年間の失地を挽回できる、ジャストミートだったね。
しかし、これは次が難しくなった、という新たな課題も見えてきます。
そうこうしているうちに、後輩たちが続々とデビューを果たしていく。
本人はそれをどう受け止めたのか分かりませんが、内心は穏やかではないでしょうね。
傍目には、ナベプロも次の手を打ち始めた始めたな、と。
ですから、石川ひとみとしても腹をくくる気持ちで、新曲にかける決断を下したのでしょう。
区切りの曲だけは自分の希望を強く出したようですね。初めて、自己主張をした。
人を動かすのは、この情熱です。
ディレクターの長岡和弘もひとみちゃんのそれまでにない熱意に感応して、重役たちのプロモーション会議で強くプッシュしたとCD?BOX記事の中で書いています。
彼のセンスも、この曲が石川ひとみに合うということを感じていた、ということでしょうね。
あまり売れなかった三木聖子の『まちぶせ』をカバー曲として、石川ひとみ起死回生の勝負曲に選ぶのはどうか、という意見が多かったそうですが、ひとみちゃんの強い希望、長岡のプッシュで、『まちぶせ』が10枚目のシングルとして採用された。
長岡和弘は後年、この曲への石川ひとみの入れ込みは、そばで見ていてビンビン感じるほどだった。それまでには見られなかった強いものを感じた、という趣旨の事を言っていますね。

彼女自身が挙げている好きな歌を挙げてみると、岡田奈々『青春の坂道』のような、熱い青春もののTVドラマファンで、奈々ちゃんにあこがれたとか。
なるほどね、石川ひとみは純愛路線というくくりではなく、もっと少女っぽくて熱い青春ものというイメージで、『まちぶせ』も考えていたところがあるのかもしれないね。
ふむふむ、中学生くらいの、子どもっぽい無分別あるいは身勝手さが抜けきらない、繊細だけれどもちょっとばかり空気読めないところがある、いたずらぽくおっちょこちょいでもある女の子。
...ひっちゃんて、こういうところあるよね。
「ねえ、みんな、青春って向かっていくものなのよ!」って、本人は本気なのだけど、若い子たちはわざとらしい演技をしていると思っている、とか。
ひとみ版『まちぶせ』は、青春ソングとして歌われた、というのもありかな?上のキーワードの組み合わせで、『まちぶせ』の諸問題をクリアして、歌いきっているノダ!と。
まあ、いいでしょう。
『まちぶせ』と格闘して、疲れたぞ。
この曲であれば、『くるみ割り人形』系のファンも、『ひとりぼっちのサーカス』系ファンも、その他の歌が好きなファンも、最大公約数的な受け入れができます。つまり、受け入れられない部分よりも、納得できる部分の方がずっと多い、ということで支持できる、応援できる、好きになれる。
間口を広げすぎたターゲティングで、ファン層が分散していた状況で、最大公約数的な要素を持った『まちぶせ』をリリースできたのは、本当に幸運だったと思うな。
3年間の失地を挽回できる、ジャストミートだったね。
しかし、これは次が難しくなった、という新たな課題も見えてきます。
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