『まちぶせ』 三木聖子と石川ひとみ

 キャンディーズの後継歌手として、ナベプロ帝国が社運をかけてプロモーションし続けたけれども、どうもブレイクしない石川ひとみ。彼女が歌手休業という背水の陣で、自ら選んだラストソング、それが「まちぶせ」だった。
 歌詞はシンガーソングライター荒井由実(結婚後、松任谷由実)が、三木聖子の実体験を聞いて、それをモチーフに作曲したもので、元々は三木聖子の持ち歌。
 それを、同じナベプロ後輩の石川ひとみがカバーバージョンを出して、大ヒット。1980年代を代表する、忘れられない名曲として今も輝き続けている。
 そのような経緯を考慮して、三木聖子のオリジナルから紹介していきましょう。




 イントロから歌への入りが、石川ひとみ版とはずいぶん違いますが、これはアレンジャー松任谷正隆の曲解釈の変化があるのではないか、と思います。
 これについては、後のページで、取り上げてみたい。

 三木聖子版は、スタッカートを多用して、歯切れの良い歌い方にしていますね。
 歌詞内容を考えて、重くならないようにサラリと歌わせたいという意図が前面に出ている感じがします。
 バック演奏は後に紹介しますが、そうそうたるメンバーで、やはり切れの良いサウンド作りをしていますから、思わず手拍子を入れたくなるノリの良い曲に仕上がっています。

 それで、やはり三木聖子自身の体験を歌にしたものだけに、さびの部分では思い入れが込められて肉感を感じるリアリティーが醸し出されていると思う。

 ただ、三木聖子の声質はやや細く、素人っぽさが残る歌い方だという印象かな。


 次に石川ひとみ版ですが、YouTube で一番人気の動画は、どうも私のイメージにはちょっと合わない感じがするな。あれだけを取り上げれば、大変すばらしいのだけれど、『右向け右』から『秘密の森』まで通してみると、あれだけ別世界のような印象がある。

 多分、プロモーションビデオとして、徹底的に計算し尽くされてできた映像なのだろうね。
 『右向け右』や『秋が燃える』、『ミスファイン』、『夢番地』、さらには『ひとりじめ』以降の曲も含めて、随所に見られる石川ひとみの素顔みたいなものが、どこにも見られない。

 大変良くできたプロモーション・ビデオで、舞台の上の虚構たるアイドルを演じきっている、という趣があります。はっきりとそのような趣旨でつくられた『くるみ割り人形』のプロモーション・ビデオと比べてみると、はっきりするでしょう。


 これまでの石川ひとみのプロモーションと比較してみますと、前年にデビューして一気にアイドルの頂点に駆け上がっていく松田聖子を相当に研究して、ひとみ流アイドル像を作り上げた、という感じだね。


☆新しいスタイル

・オーバーアクションだった元気すぎるひとみちゃんのフリを、極力抑えて、歌唱力に注目されるようにした。

・哀しい歌を笑顔であっけらかんと歌うスタイルを改め、しっとりと丁寧に、指先の隅々まで神経が行き届くようにことばの隅々まで心を配って歌い上げる。

・歌詞の持つストーカー的印象を打ち消すために、思い入れを込めすぎないさわやかを感じさせる歌い方と、マイクを両手で握りしめるアイドルスタイルの保持。

・「ふ・た・り」で、左肩をちょっとすくめる可愛い仕草、言うまでもなく聖子流ですけど、石川ひとみはコケットリーな表情はつくらずにサラリとやってるな。

・最後に満面のひとみスマイルを見せるところをぐっと抑えて、歌全体のコーポレイト・アイデンティティーを保持した。これはスタジオでの撮影で、舞台のように観客を前にしていないせいかもしれないけどね。


★ビジュアル面では、聖子ちゃんカットにアイドルらしい真っ黄色なひらひらドレス。チューリップの妖精イメージです。

 太めだった身体も、やったね!というくらい締まって、ドレスに細くきれいな足が映えます。

 ウエストは折れそうなくらい締まって、肩や二の腕の肉も落ちて、ビジュアル的に完璧に仕上げてきています。


 ということで、歌の方は石川ひとみの歌唱力が遺憾なく発揮されていることは言うまでもない。

・高音部の抜けが良くて、聴いている方もすっきりする、

・中音部では、ベルベットのように柔らかい肌触りの声と、丁寧な歌唱、

・低音部は少し大人っぽい声


★そして、歌詞は、誰もが抱く男女の出会いの心情をベースにして、青春の美しい過ちという上村一夫的テイストを、純愛路線で歌うという石川ひとみ的アンバランスの微妙なバランス。

 歌手石川ひとみならばこうなる、という『まちぶせ』を創り上げています。
 三木聖子版では何が足りなかったのか、という検討と、松田聖子の成功要因を、石川ひとみというポテンシャルのより大きな器に投入してつくりあげた、というところでしょうか。

 それが功を奏して、多くの萌えファンを獲得しているのですから、プロモーション的には大成功です。ファンに夢を見させてくれる、すてきな映像だよね。


 でも、私のイメージとしてはこれとか、ザ・ベストテンの歌が、シックリくるかな。
 観客を前にすると、笑顔がこぼれて素顔のひっちゃんになる。よりナチュラルな石川ひとみだな。


 

 『まちぶせ』誕生のエピソード

 三木聖子は1957年生まれで、石川ひとみよりも2歳年上のナベプロの先輩で、レコード会社も同じキャニオンレコードです。

 彼女は早々に引退してしまいましたので、このような名曲が埋もれかかっていた、という事情もあります。
 この曲を石川ひとみが歌ったことで、80年代を代表する名曲の一つとして記録されることになる。


 担当プロデューサーの長岡和弘は、この歌をレコディングする時、予算の関係で三木聖子版のカラオケを再度使おうとしたが、それは保存されていなくて新しくレコーディングしたそうです。
 事務所移転の際に、原盤を廃棄してしまったとか。

 再びアレンジを担当した松任谷正隆は、前のヴァージョンでは十分に納得してない所がありリメイクに意欲を燃やしたという。


 バックは三木聖子版、石川ひとみ版とも同じメンバーで、松任谷正隆がかつてメンバーだった「ティン・パン・アレー」+後藤次利(ベース)という構成です。

   鈴木 茂  (ギター)
   林 立夫 (ドラム)
   松任谷正隆(キーボード)
   後藤次利(ベース)

 このメンバーはベーシスト細野晴臣の仲間たちですね。
 細野は「はっぴいえんど」→「ティン・パン・アレー」→「YMO」とバンドを変えています。
 「ティン・パン・アレー」で松任谷正隆と組んでいたわけです。


   「はっぴいえんど」

   細野晴臣 (ベース、ボーカル)
   大瀧詠一 (ギター、ボーカル)
   松本 隆  (ドラム)
   鈴木 茂  (ギター、ボーカル)


 「ティン・パン・アレー」(Tin Pan Alley)

   細野晴臣(ベース)
   鈴木 茂  (ギター)
   林 立夫 (ドラム)
   松任谷正隆(キーボード)
   佐藤 博 (キーボード)...松任谷の後任

   ...からなる音楽ユニット。


「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」

   細野晴臣 (ベース)
   高橋幸宏 (ヴォーカル、ドラムス)
   坂本龍一 (キーボード)

 「ティン・パン・アレー」はバンドと言うよりも、他のアーティストの楽曲作り(演奏&プロデュース)をするプロジェクトチームといった方がよい。

 本来であれば細野晴臣がベースをやるはずですが、1976年はソロアルバム『泰安洋行』制作前後であり、1981年というとYMOの活動が大ブームを起こしており、あまりに多忙なため不参加。

 代役は沢田研二『TOKIO』で第22回日本レコード大賞編曲賞を受賞している後藤次利で、不足はない。
 あの清楚なアイドル木之内みどりが、仕事を放り出してロサンゼルスまで追っかけていった人です。


 というわけで、『まちぶせ』はこの超豪華メンバーでリリースした渾身の一曲ですから、ヒットしないわけがない、という感じがするね。


 三木聖子の時にヒットしなかったじゃないかと言われそうですが、繊細な歌い方の彼女の歌と、じっくり聞かせるこの曲の性格とが相まってジワジワとファンを拡大するような広がり方を見せていた、ということのようです。

 三木は『まちぶせ』(1976/6/25)の後、『恋のスタジアム』(1976/10/10)、『三枚の写真』(1977/2/25)と2つのシングルをリリースするのですが、新曲よりも『まちぶせ』の方がじわじわと売れ始まるという現象を見せていたようです。

 しかし三木は『三枚の写真』をリリースした後、TV局のディレクターと結婚して、引退してしまう。

 彼女は石川ひとみが『まちぶせ』をカバーバージョンでリリースした時期、株式会社ステージプロダクション・アザールというところで仕事をしていました。
 ご主人が芸能イベントの企画・制作をやる会社を始めるということで、ナベプロつながりのこの会社で勉強させてもらっていたのです。

 このアザールは、あの伝説的な「さよならコンサート」(キャンディーズ)をプロデュースした企画・制作会社で、社長の杉山俊雄が三木聖子を引き受けて企画・制作のノウハウを学ばせていたそうです。

 杉山は1979年から1980年にかけて石川ひとみ「ほほえみコンサート」をプロデュースした舞台演出家です。舞台の現場で、ファンの反応をつぶさにチェックしてきたひとですから、どうすればファンに喜ばれるかということに精通していた人だね。

 彼は大変面倒見が良い人と言われる人で、1979年ごろ歌に行き詰まって悩み抜いていた石川ひとみのグチを心ゆくまで聞いて、公私共に石川ひとみがお世話になった。
 同じ年代の人では一緒に暗くなってしまうが、社会の荒波にもまれてきた年上の人はそうならないからいい、と石川ひとみは語っています。

 石川ひとみはこの杉山を「頼れるお兄さん、という感じの人」とインタビューなどで答えていました。当時、石川ひとみは21歳、杉山33歳。

 石川ひとみは、この杉山から、彼の下で仕事をしている先輩の三木聖子のことは聞いていたはずです。石川ひとみが『まちぶせ』という曲を知った、一つのきっかけになったと、私は推測していますけどね。
 三木聖子と石川ひとみは、浅からぬ因縁があった、と。


 石川ひとみの『まちぶせ』プロデュースには、間接的にですが三木聖子がからんでいると言って良いでしょう。
 三木聖子は自分が捨てた夢を、同じナベプロの後輩である石川ひとみが実現していくプロセスを関係者の一人として見続けていたはず...。

 アザールの主な業務は石川ひとみの舞台関連の仕事であり、三木聖子はこの小さな会社のスタッフですから、当然ながら石川ひとみ『まちぶせ』プロモーションの一翼を、後方支援とはいえ、関わったものと思われます。決して無縁ではないと思う。

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