内気で自己主張ができなかったアイドルひっちゃん、先輩小柳ルミ子の影響を受けたのか、次第に会報誌を通じて自分の意見を表明するようになります。
歌手として進退をかけた新曲(『まちぶせ』決定前の)選定会議では、堂々の意見表明をおこなった。
あまたの反対意見も、引退決意の石川ひとみの意見を尊重せざるを得なかったのだろう。
歌手として進退をかけた新曲(『まちぶせ』決定前の)選定会議では、堂々の意見表明をおこなった。
あまたの反対意見も、引退決意の石川ひとみの意見を尊重せざるを得なかったのだろう。
歌手のイメージというのは、プロデュースする側のイメージ作りと、ファンが心の中で育てるイメージとの綱引きで成り立っている。歌手はその中心にいて、両者の思いを背負わねばならない。
マーケティングが適切であれば、歌手はさほど相克を感じることはないが、不適切であれば自分らしさとの乖離がストレスとなる。
素直でウソのつけない石川ひとみは、自分らしくないイメージングの連続にストレスをため込んでいったようです。
これは「ひとりぼっちのサーカス」について、石川ひとみがファンインタビューで述べていることですが...
「私はネ、声が張れるような歌がすきなのね。でもあのLPの中には静かな曲が多かったのね。
今歌っている「ひとりぼっちのサーカス」も静かな曲でしょ。
あれはあれで大好きなんだけど、もう少し個性が出せるような曲が歌いたいわ。(省略)
そう、曲としては「ひとりぼっちー」はとてもいい曲なんだけど、なにか自分じゃないみたいで。
私、あんなんじゃないもの。あれ程暗い女の子じゃないと思っているから・・・。
もっとハッピーな、詞の内容はハッピーじゃなくても、メジャーな曲で・・・・今風のニューミュージックというんじゃないけど、それに近い、そんな感じの曲が歌ってみたい」
『ひとりぼっちのサーカス』、『セプテンバーレイン』を聴いた私の印象そのままですね。
石川ひとみは79年そして80年と開花しきれずに悩み、母親に電話をかけたり、音楽スタッフと意見を交わしあって、次第に自立しつつプロ根性を身につけていったようです。
その中でも、コンサートのプロデューサーで面倒見のよい杉山には色々と相談に乗ってもらい、少なからぬ感化を受けたようです。
そして、歌手としての自分の意識を確立していくと同時に、自己主張をするようになっていく。
再び、遠山の記事を取り上げてみたい。
「筆者はナベプロの阿木制作部長と打ち合わせで夜遅くなったことがある。阿木氏と別れる際になって、同氏は「ひとみとミーティングがあるので、ちょっと同席してくれませんか」と言った。
外部の者であるし、遠慮したかったのだが、深夜ミーティングというのも興味がある。
真夜中の六本木。
ひとみは、とうとうと、自分の意見を主張した。
普通なら深夜のミーティングなんてイヤな顔をするのが常。しかし、彼女は違った。

(中略)
デビューして、3年め、普通だったら、イヤ気がさして、引退とかドラマの方に転向してしまっていたかもしれないのだが、とにかく彼女はがんばった。
無論、今では層の薄くなったナベプロの貴重な"宝"として、育成してスターにしようという、スタッフの努力も見逃せない。
3年もたって、いつまでもアイドル面だけでは売っていけない。
のべつまくなしテレビに出ていたわけではないが、3年も過ぎると、鮮度が落ちてくる。
やはり歌の世界にあっては、実力よりも鮮度というものが、重要なパーセンテージを占める。
年相応の歌も与えなければいけない。
次の曲をどうしようかというスタッフ会議が持たれた際に、浮かび上がってきたのが、この『まちぶせ』だった。」
いかがでしょうか?
歌手石川ひとみは、決してただの泣き虫アイドルではありません。
そして、リカちゃん人形でもないのですね。
長岡和弘の談話では、「次はこれです、と持ってきてくれる歌を、私は精一杯歌います」とひとみちゃんは言ったそうですが、さすがに『ひとりぼっちのサーカス』では、自分のイメージと全然違うとファンに漏らしていますね。
大輪茂男は自分のプロデュースの意図について、きちんと石川ひとみに伝えていないのかと思う。
寝る暇もないほどのアイドルですから、きちんと納得のいくまでディスカッションすることなく、指示するだけだったのかもしれないな。
だから、ひとみちゃん、ストレスを深めていったのでしょう。
大輪、坪野そして長岡和弘になって、ようやく話し合い路線が定着し始める。この間、陰で支えたのが杉山だった、と。
石川ひとみがこの会議で「とうとうと意見を述べた」ということは、ただ単に「これが最後だから」という強い思いだったというだけでなく、その背後にあるものを私は感じるな。
ナベプロが作った作文では「有線放送の話を長岡和弘が聞いて、制作の方に持ち込んで、石川ひとみに曲を聴いてもらい、気に入ってもらえたので新曲会議でプレゼンした」ということになっています。
けれども、会議の場でそれまで自己主張をしなかった石川ひとみが「とうとうと意見を述べ」なくてはならなかったのは、長岡の根回しができていない、ということでしょう。
プロデューサーがヘゲモニーをとらねばいけない場で、歌手がとうとうと意見を述べた、ということは、『まちぶせ』の情報は長岡経由で石川ひとみに届いたのではなく、石川ひとみ経由で長岡に届いたのではないかな、という気がするね。
まあ、そこにシンクロニシティがあったということでも、どちらが先かは問題でないのでかまわない。
それで、あくまでも私の推測ですけれど、石川ひとみは杉山を通じて、彼の下で見習い修行をしていた三木聖子の『まちぶせ』を知り、その歌を気に入ったのではないかと思う。
自分が本当に打ち込める歌に恵まれないと言う石川ひとみのグチを聞き続け、数限りなく話し合っていた舞台プロデューサーの杉山です。
時には夜を徹する話の中で、石川ひとみが歌いたい曲のイメージを理解して、こういう歌があるけどどうかな?と。...三木聖子の『まちぶせ』も当然あっただろう、と考えるのが自然だと思う。
ここは、推測の部分なのですけれど、実は『三枚の写真』のリリースにまつわるエピソードをチェックしていて、逆算するようにこの『まちぶせ』決定の真実みたいなものが見えてきた、という理由があります。
この記事は、「三枚の写真 リリースの経緯」につながります。
マーケティングが適切であれば、歌手はさほど相克を感じることはないが、不適切であれば自分らしさとの乖離がストレスとなる。
素直でウソのつけない石川ひとみは、自分らしくないイメージングの連続にストレスをため込んでいったようです。
これは「ひとりぼっちのサーカス」について、石川ひとみがファンインタビューで述べていることですが...
「私はネ、声が張れるような歌がすきなのね。でもあのLPの中には静かな曲が多かったのね。
今歌っている「ひとりぼっちのサーカス」も静かな曲でしょ。
あれはあれで大好きなんだけど、もう少し個性が出せるような曲が歌いたいわ。(省略)
そう、曲としては「ひとりぼっちー」はとてもいい曲なんだけど、なにか自分じゃないみたいで。
私、あんなんじゃないもの。あれ程暗い女の子じゃないと思っているから・・・。
もっとハッピーな、詞の内容はハッピーじゃなくても、メジャーな曲で・・・・今風のニューミュージックというんじゃないけど、それに近い、そんな感じの曲が歌ってみたい」
『ひとりぼっちのサーカス』、『セプテンバーレイン』を聴いた私の印象そのままですね。
石川ひとみは79年そして80年と開花しきれずに悩み、母親に電話をかけたり、音楽スタッフと意見を交わしあって、次第に自立しつつプロ根性を身につけていったようです。
その中でも、コンサートのプロデューサーで面倒見のよい杉山には色々と相談に乗ってもらい、少なからぬ感化を受けたようです。
そして、歌手としての自分の意識を確立していくと同時に、自己主張をするようになっていく。
再び、遠山の記事を取り上げてみたい。
「筆者はナベプロの阿木制作部長と打ち合わせで夜遅くなったことがある。阿木氏と別れる際になって、同氏は「ひとみとミーティングがあるので、ちょっと同席してくれませんか」と言った。
外部の者であるし、遠慮したかったのだが、深夜ミーティングというのも興味がある。
真夜中の六本木。
ひとみは、とうとうと、自分の意見を主張した。
普通なら深夜のミーティングなんてイヤな顔をするのが常。しかし、彼女は違った。

(中略)
デビューして、3年め、普通だったら、イヤ気がさして、引退とかドラマの方に転向してしまっていたかもしれないのだが、とにかく彼女はがんばった。
無論、今では層の薄くなったナベプロの貴重な"宝"として、育成してスターにしようという、スタッフの努力も見逃せない。
3年もたって、いつまでもアイドル面だけでは売っていけない。
のべつまくなしテレビに出ていたわけではないが、3年も過ぎると、鮮度が落ちてくる。
やはり歌の世界にあっては、実力よりも鮮度というものが、重要なパーセンテージを占める。
年相応の歌も与えなければいけない。
次の曲をどうしようかというスタッフ会議が持たれた際に、浮かび上がってきたのが、この『まちぶせ』だった。」
いかがでしょうか?
歌手石川ひとみは、決してただの泣き虫アイドルではありません。
そして、リカちゃん人形でもないのですね。
長岡和弘の談話では、「次はこれです、と持ってきてくれる歌を、私は精一杯歌います」とひとみちゃんは言ったそうですが、さすがに『ひとりぼっちのサーカス』では、自分のイメージと全然違うとファンに漏らしていますね。
大輪茂男は自分のプロデュースの意図について、きちんと石川ひとみに伝えていないのかと思う。
寝る暇もないほどのアイドルですから、きちんと納得のいくまでディスカッションすることなく、指示するだけだったのかもしれないな。
だから、ひとみちゃん、ストレスを深めていったのでしょう。
大輪、坪野そして長岡和弘になって、ようやく話し合い路線が定着し始める。この間、陰で支えたのが杉山だった、と。
石川ひとみがこの会議で「とうとうと意見を述べた」ということは、ただ単に「これが最後だから」という強い思いだったというだけでなく、その背後にあるものを私は感じるな。
ナベプロが作った作文では「有線放送の話を長岡和弘が聞いて、制作の方に持ち込んで、石川ひとみに曲を聴いてもらい、気に入ってもらえたので新曲会議でプレゼンした」ということになっています。
けれども、会議の場でそれまで自己主張をしなかった石川ひとみが「とうとうと意見を述べ」なくてはならなかったのは、長岡の根回しができていない、ということでしょう。
プロデューサーがヘゲモニーをとらねばいけない場で、歌手がとうとうと意見を述べた、ということは、『まちぶせ』の情報は長岡経由で石川ひとみに届いたのではなく、石川ひとみ経由で長岡に届いたのではないかな、という気がするね。
まあ、そこにシンクロニシティがあったということでも、どちらが先かは問題でないのでかまわない。
それで、あくまでも私の推測ですけれど、石川ひとみは杉山を通じて、彼の下で見習い修行をしていた三木聖子の『まちぶせ』を知り、その歌を気に入ったのではないかと思う。
自分が本当に打ち込める歌に恵まれないと言う石川ひとみのグチを聞き続け、数限りなく話し合っていた舞台プロデューサーの杉山です。
時には夜を徹する話の中で、石川ひとみが歌いたい曲のイメージを理解して、こういう歌があるけどどうかな?と。...三木聖子の『まちぶせ』も当然あっただろう、と考えるのが自然だと思う。
ここは、推測の部分なのですけれど、実は『三枚の写真』のリリースにまつわるエピソードをチェックしていて、逆算するようにこの『まちぶせ』決定の真実みたいなものが見えてきた、という理由があります。
この記事は、「三枚の写真 リリースの経緯」につながります。
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