石川ひとみ版 「木綿のハンカチーフ」(1978/09/10)作詞:松本隆、作曲:筒美京平、編曲:荒木圭男
太田裕美のヒット曲を、石川ひとみがレッドゾーンまで吹き上がる高音発声力で伸びやかに歌っています。
18歳の石川ひとみの、ポテンシャルの高さに驚きます。うーん、とうなる太田裕美ファンの方もいらしゃるのではないでしょうか?すごいな、と感じるものがあります。
太田裕美のヒット曲を、石川ひとみがレッドゾーンまで吹き上がる高音発声力で伸びやかに歌っています。
18歳の石川ひとみの、ポテンシャルの高さに驚きます。うーん、とうなる太田裕美ファンの方もいらしゃるのではないでしょうか?すごいな、と感じるものがあります。

その答えは、このカセット・テープ「わたしはひとみ」に収録されたカバー曲の数々に秘められているかと思う。
詩を朗読して、太田裕美『木綿のハンカチーフ』、他を歌ったカセットテープです。
『ひとみ版・木綿のハンカチーフ』
何がすごいのかといいますと、(曲に)はまれば素晴らしく輝く潜在能力を持っていることが、如実に覗えるということですね。
すごいパワーと声量、高音の伸びやかさ、そしてきめ細かな歌唱力。
とても、18歳の駆け出し歌手の歌とは思えない。
ひとみちゃんは、お母さんに負んぶされている幼児の頃から歌を歌っていたというエピソードがあるほど歌うことが好きで、小学1年生から中学3年までピアノのレッスン、中学生時代は「スター誕生」ごっこを友達とやっていたほど。漢字を学ぶよりも先に楽譜を読んでいたのダ。
そして、高校に入ってからは、東京音楽学院・名古屋校(ナベプロ経営)に(試験を受けて)入学して、本格的に歌のレッスンに励んでいます。この頃に何度かスクールメイツとしてバックダンスを練習するのですが、踊りが苦手で歌一本で行くことを決意したようです。
(器用ではないので歌一筋と決めたことが幸いして、スクールメイツのようなバックを経ずに、歌の実力で最初からナベプロ新人セクション第一号として、最初からスター待遇でデビューするわけです。)
高校2年生で「君スタ」出場、アジア・アマチュア音楽祭(香港)に日本代表として出場。
(香港・アジアに根強いファンがいて、毎日多数のアクセスがあるのは、この時に有名になったからかな。関連記事があります)
高校3年生の頃は渡辺プロダクションのレッスンに上京するようになり、高校卒業後ナベプロ入りしてわずか2ヶ月でデビューとなるわけですね。
さらに歌手になってからでも、ストレス発散はカラオケ歌いまくりとか(自分の歌は歌わない)、とにかく歌うことが大好きということなのですね。
太田裕美ちゃんの歌も可憐で好きでしたが、高音・低音部どちらも声量と伸びに不完全燃焼感を感じていましたので、ひっちゃんの歌に一発で、しびれました。これはあくまでも好みの問題ですので、こぢんまりとした丁寧に歌われるのを好む人もいますし、スケールの大きな歌い方を好む人もいます。
この『木綿のハンカチーフ』は、裕美ちゃんの3年前の大ヒットですから、カバー曲で前面に出すことは控えて、カセット・テープ版でリリースされているのでしょう。
でも、これを聴いて石川ひとみという歌手は、野球で言えば直球勝負の力投型のピッチャーだなということが理解できました。全開バリバリでパワーを出し過ぎるほど元気な女の子、なのですね。
『くるみ割人形』でも、くるみわりーのところで、急激にエンジン全開してレッドゾーンに入ってしまいます。ここは、テンションを抑え気味にすると、切なさ感が出るのになと思ってしまう。
石川ひとみは歌うことが好きで好きで、揚げヒバリのように思いっきり声を出して歌うことが、何よりも楽しくてしょうがなかったのでしょうね。
『右向け右』のような悲恋の歌でも、体が自然とノリノリになって、笑顔がこぼれて、悲しい顔ができない...。ファンの前で、自分の歌を歌える喜びが、曲に没入することよりも勝ってしまうのでしょう。目の前のお客さんに反応してしまうのだと。
ですから、アイドルをやるべき時にはアイドルをやるのが良い。
そういう条件がすべて整っているわけなのだから。
ひとみちゃんは歌唱力が素晴らしいために、単なるアイドルでないものを打ち出したかったのでしょうね。実力の違いで差別化しようと。
その結果として、大人の女の歌を歌うという背伸び路線をとっていったことが、アイドルとして中途半端、かといって本格的な大人の歌を歌うには若くて、明るすぎ、パワフルすぎ、可愛すぎる。
松田聖子のように熱唱する歌を4、5曲続けてくれていたら、と思わずにはいられません。
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