昨夜「昭和・平成の名曲」とかいう番組があって、昭和の名曲ベスト3は、
(1) 「なごり雪」 イルカ
(2)「秋桜」 山口百恵
(3) 「赤いスイートピー」松田聖子
...という結果だとか。
(1) 「なごり雪」 イルカ
(2)「秋桜」 山口百恵
(3) 「赤いスイートピー」松田聖子
...という結果だとか。
曲選定に口を挟むつもりはありません。
共通する、売れた要因みたいなことを考えていました。
山口百恵は「横須賀ストーリー」もベストテン入りしていましたが、これは「一世を風靡した歌」で、「歌い継がれる歌」となるのは難しいかと思う。時代性に、より多く足場を置いた歌ですから。
それで、ベスト3に共通している要素をアットランダムにあげてみると、
「歌詞」
・誰もが人生のある時期には経験すること、その時の気持ち・感情を、素直に吐露している。
...ここにもひとつの永遠がある、と思えるような歌ですね。
そのうえで、基本的に前向きで、明るく、健全。悲哀を描いても救いがある、という大衆心理に合うこと。
・男性側からも共感でき、女性側からも共感できる表現形式を備えている。
...ニュートラルな領域、石川ひとみ陣営の作詞者の課題として指摘した、
「男性作詞家と女性作詞家とのあいだに存在する言葉の不毛地帯」を切り開いている歌、
...ということになる。
「曲・編曲」
・基本はモデラート。
日常生活のあらゆる場面で聴いてもさほど違和感を感じないテンポ、というのが最大公約数的に求められるでしょう。
ゆったりくつろいでいる時に、せわしないストリングでアップテンポの曲は合わないし、飲み屋で一杯やっている時にはスローバラードな歌はノリが悪い、とか様々な場によって合う・合わないが大きく異なる曲は外れるでしょう。
「歌手」
・みなさん強い思い入れがある曲ですが、それを爆発させるのではなくほどほどに抑制が効いていて内に秘めているという感じです。
強い思いは他者(ひと)を動かすエネルギーとして絶対に必要ですが、自爆させるよりも「氣」として放射した方が良いということかな。どのようなシーンでも、違和感を感じさせず、聴く人の心に届く。
概念だけを抽出してみると、きわめてオーソドックスです。真理は平凡なことにある、ということです。
歌い継がれる歌というのはいってみれば、ベンサムの説く「最大多数の最大幸福」を基本的に目指していないといけないわけですけれど、できが悪ければ凡庸なものになってしまう、ということになりますね。
歌い継がれるような歌というのは、たくさんあるわけではないのですが、そういうものをたくさん歌っていると偶然出会える、あるいは招き寄せることができる、というのも真実です。
このBest3以外でも、たとえば岩崎宏美「思秋期」は、それまで歌ってきた青春ソングの集大成として、ある意味で必然的に出てくる歌だといって良い。
そうすると、この歌を核として他の歌が連なる「ハレー彗星のようなロングテールの様相」を呈する「宏美青春ソング・ワールド」がその全体的な相貌を顕してくる。
中期以降の山口百恵、岩崎宏美や松田聖子、伊藤咲子にしても、彼女たちの歌でファン心理を裏切られるような思いをしたことはありません。
けれども、石川ひとみの場合は、デビューから肩すかしの連続という感じがあるなァ。
大ヒットする歌というのはすなわち一世を風靡する歌ですけれど、それが歌い継がれる歌であることは滅多にあることではない。
こういう問題の切り口でやり始めると、また延々と書き連ねなければならなくなりますので深入りしませんが、ひとつだけ例をあげておきます。
『海のようなやさしさで』と『三枚の写真』
男女の愛のせめぎ合いが経過して、やがて「愛が引き潮」のざわめきが女性の心にさざ波をもたらす。
...これは、男女の付き合いの永遠(の問題)を描いている、という点で普遍性を持っています。
武衛さんの表現は女性感覚の表現に特化していますので、男の共感を呼ぶ要素が欠落している、と。
石川ひとみが歌って、曲が申し分ないのですから、歌詞に足りないものがあると、考えざるを得ないのではないかな。
まぶしいほど 似合う二人
だけど心の波立ち 愛が引き潮
あなたがそっと 私の肩に
コート着せかけてくれた
もどらぬ あの日の海
あなたがそっと 私の肩に...と、明瞭に「あなた」と「私」を区分して、着せかけてくれたと、女性目線をくずさない。
男は終始、女性目線で見られている存在として表現されている。
この歌詞には、男性ファンの感情が依るべきフィールドがないといってよい。
まあ男には分からないような女性感覚を表現する方ですから、当然といえば当然なのですけど、ね。
その点で、松本隆の歌詞は男が書いていますので、男目線の要素があって、より男性の共感を得やすいかと思う。上と同じような情景描写ですけども、
目かくしをした あなたの腕に
冷たいねって 涙おとした
ねえ 目をそらさずに 好きって言える?
目かくしをしているのは男性ですから、コートと同様に男的に感情移入を誘われる。
その腕に、彼女の涙がポツンと落ちるのを感じてしまうわけですねー。
そのタイミングで、ねえ 目をそらさずに 好きって言える?
...なんて、訊かれてしまうわけですから、否応なしに巻き込まれていく。
この「好きって言える?」というフレーズが本質的な意味合いを持つのは、この2番だけだと、改めて思う。声を落として、切実さと不安感を秘めた自己表現だと。
1番と3番の歌詞の中では、同じ体裁を整えるだけという意味合いしか感じないよね。
ひとみちゃんの歌い方も、「あなた」に甘えているようなコケットリーな表現となっていますけど...。
この2番の歌詞はよく考えられていると思う。
男にも女にも共通のフィールドがあると、感じられる表現になっている。
けれども、3番の歌詞ね、イメージが不明瞭なだけでなく、女性の視点に偏ってしまって、男はいても蜃気楼のように希薄だね。
それで、曲・編曲は3番に焦点が当てられているようなので、私的(演歌的)な別れの哀しみの歌になってしまっている。
松本隆がそういう意図で書いた歌詞であるならば、「男女の考え方に違いはない」といっているその感受性の質に問題があるだろうね。
自分はそういうタチだけれど、普通はどうなのかな?という掘り下げが見られない。
自分の感性で書いたものに女性が同感してくれるから、男女に違いがないと。
けれども私はあえて「3番には、男性ファンの感情が依るべきフィールドがないよ」と言っておきたいな。
その3番に焦点を当てた歌としてリリースしている結果、歌い継がれる歌にはなり得なかった、ということになる。
まあ、そこまで要求しては酷なのかなとは思いますけどねェ...。
共通する、売れた要因みたいなことを考えていました。
山口百恵は「横須賀ストーリー」もベストテン入りしていましたが、これは「一世を風靡した歌」で、「歌い継がれる歌」となるのは難しいかと思う。時代性に、より多く足場を置いた歌ですから。
それで、ベスト3に共通している要素をアットランダムにあげてみると、
「歌詞」
・誰もが人生のある時期には経験すること、その時の気持ち・感情を、素直に吐露している。
...ここにもひとつの永遠がある、と思えるような歌ですね。
そのうえで、基本的に前向きで、明るく、健全。悲哀を描いても救いがある、という大衆心理に合うこと。
・男性側からも共感でき、女性側からも共感できる表現形式を備えている。
...ニュートラルな領域、石川ひとみ陣営の作詞者の課題として指摘した、
「男性作詞家と女性作詞家とのあいだに存在する言葉の不毛地帯」を切り開いている歌、
...ということになる。
「曲・編曲」
・基本はモデラート。
日常生活のあらゆる場面で聴いてもさほど違和感を感じないテンポ、というのが最大公約数的に求められるでしょう。
ゆったりくつろいでいる時に、せわしないストリングでアップテンポの曲は合わないし、飲み屋で一杯やっている時にはスローバラードな歌はノリが悪い、とか様々な場によって合う・合わないが大きく異なる曲は外れるでしょう。
「歌手」
・みなさん強い思い入れがある曲ですが、それを爆発させるのではなくほどほどに抑制が効いていて内に秘めているという感じです。
強い思いは他者(ひと)を動かすエネルギーとして絶対に必要ですが、自爆させるよりも「氣」として放射した方が良いということかな。どのようなシーンでも、違和感を感じさせず、聴く人の心に届く。
概念だけを抽出してみると、きわめてオーソドックスです。真理は平凡なことにある、ということです。
歌い継がれる歌というのはいってみれば、ベンサムの説く「最大多数の最大幸福」を基本的に目指していないといけないわけですけれど、できが悪ければ凡庸なものになってしまう、ということになりますね。
歌い継がれるような歌というのは、たくさんあるわけではないのですが、そういうものをたくさん歌っていると偶然出会える、あるいは招き寄せることができる、というのも真実です。
このBest3以外でも、たとえば岩崎宏美「思秋期」は、それまで歌ってきた青春ソングの集大成として、ある意味で必然的に出てくる歌だといって良い。
そうすると、この歌を核として他の歌が連なる「ハレー彗星のようなロングテールの様相」を呈する「宏美青春ソング・ワールド」がその全体的な相貌を顕してくる。
中期以降の山口百恵、岩崎宏美や松田聖子、伊藤咲子にしても、彼女たちの歌でファン心理を裏切られるような思いをしたことはありません。
けれども、石川ひとみの場合は、デビューから肩すかしの連続という感じがあるなァ。
大ヒットする歌というのはすなわち一世を風靡する歌ですけれど、それが歌い継がれる歌であることは滅多にあることではない。
こういう問題の切り口でやり始めると、また延々と書き連ねなければならなくなりますので深入りしませんが、ひとつだけ例をあげておきます。
『海のようなやさしさで』と『三枚の写真』
男女の愛のせめぎ合いが経過して、やがて「愛が引き潮」のざわめきが女性の心にさざ波をもたらす。
...これは、男女の付き合いの永遠(の問題)を描いている、という点で普遍性を持っています。
武衛さんの表現は女性感覚の表現に特化していますので、男の共感を呼ぶ要素が欠落している、と。
石川ひとみが歌って、曲が申し分ないのですから、歌詞に足りないものがあると、考えざるを得ないのではないかな。
まぶしいほど 似合う二人
だけど心の波立ち 愛が引き潮
あなたがそっと 私の肩に
コート着せかけてくれた
もどらぬ あの日の海
あなたがそっと 私の肩に...と、明瞭に「あなた」と「私」を区分して、着せかけてくれたと、女性目線をくずさない。
男は終始、女性目線で見られている存在として表現されている。
この歌詞には、男性ファンの感情が依るべきフィールドがないといってよい。
まあ男には分からないような女性感覚を表現する方ですから、当然といえば当然なのですけど、ね。
その点で、松本隆の歌詞は男が書いていますので、男目線の要素があって、より男性の共感を得やすいかと思う。上と同じような情景描写ですけども、
目かくしをした あなたの腕に
冷たいねって 涙おとした
ねえ 目をそらさずに 好きって言える?
目かくしをしているのは男性ですから、コートと同様に男的に感情移入を誘われる。
その腕に、彼女の涙がポツンと落ちるのを感じてしまうわけですねー。
そのタイミングで、ねえ 目をそらさずに 好きって言える?
...なんて、訊かれてしまうわけですから、否応なしに巻き込まれていく。
この「好きって言える?」というフレーズが本質的な意味合いを持つのは、この2番だけだと、改めて思う。声を落として、切実さと不安感を秘めた自己表現だと。
1番と3番の歌詞の中では、同じ体裁を整えるだけという意味合いしか感じないよね。
ひとみちゃんの歌い方も、「あなた」に甘えているようなコケットリーな表現となっていますけど...。
この2番の歌詞はよく考えられていると思う。
男にも女にも共通のフィールドがあると、感じられる表現になっている。
けれども、3番の歌詞ね、イメージが不明瞭なだけでなく、女性の視点に偏ってしまって、男はいても蜃気楼のように希薄だね。
それで、曲・編曲は3番に焦点が当てられているようなので、私的(演歌的)な別れの哀しみの歌になってしまっている。
松本隆がそういう意図で書いた歌詞であるならば、「男女の考え方に違いはない」といっているその感受性の質に問題があるだろうね。
自分はそういうタチだけれど、普通はどうなのかな?という掘り下げが見られない。
自分の感性で書いたものに女性が同感してくれるから、男女に違いがないと。
けれども私はあえて「3番には、男性ファンの感情が依るべきフィールドがないよ」と言っておきたいな。
その3番に焦点を当てた歌としてリリースしている結果、歌い継がれる歌にはなり得なかった、ということになる。
まあ、そこまで要求しては酷なのかなとは思いますけどねェ...。
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