石川ひとみ 「夢回帰線」哀しい娼婦の心情

 シルクロードブームに沿った、アラブ音楽ふうなテイストを持つ歌です。
 ナリス化粧品のCMソングとして使われたようですが、TV露出を多くするねらいがあったのでしょう。
 渡辺音楽出版は、CMとの相乗効果を計ったタイアップ路線を推進しはじめました。

石川ひとみ 「夢回帰線」(1985/5) 作詞:岡田冨美子、作曲:松田良、編曲:チト河内
 この曲は、1979年に200万枚という大ヒットとなったジュディ・オング「魅せられて」(エーゲ海)、同じく大ヒットの久保田早紀「異邦人」(シルクロード)にあやかった、シルクロード路線でしょうか。

 中近東やギリシャでポピュラーなウードの代わりにマンドリンを使った音色がちょっと、砂漠のイメージではない。ウードは乾いた音で、いかにも砂漠の楽器という音色ですが、マンドリンは東洋的でメロウな音色だと思うけどね。

 どちらにしても、「アモーレ」のような迫力のあるストリングス(シンセ?)のサウンドを生み出す楽器ではありませんが、ムチの音を思わせる打音が原始的で力強いリズムを刻んでいて、石川ひとみ本来の声を張り上げる歌い方によく合っている。


 ナベプロ会報の記事では、繊細なマンドリンのトレモロで、震えるような女性の気持ちを表現しようとした、ものらしい。
 それにしては、フリが大きくて、じっくり聴かせる雰囲気ではないよねぇ。

 ちょっと、意図がはっきりしない作りだけど、石川ひとみ、気持ちよさそうに歌い上げているのでいいことにしよう。
 化粧品の広告という縛りがあって、繊細すぎず、かといってディスコテイックにに迫力で迫るわけでもなく、まあ無難なところで収まっているかな。

 もちろん、アラブの音階を用いた曲作りではないけれど、アラブ風な曲のアレンジは悪くない。

 再び岡田富美子さんの歌詞です。
 イメージが多彩なのですが、それが逆に言葉が上滑りしがちだな、という印象を受ける。

 思うに、岡田さんは詩が好きな文学少女だったのではないかな、と思います。
 彼女のメタファーはそういうものを感じさせます。


   「夢回帰線」

 
 

        砂漠へと 旅立つ夢旅人 あなたは蜃気楼
   
     サヨナラは 愛より熱い言葉 涙はきらめく吐息

   
     女心覗けば裏窓がある 罪の深いあなたを見送る為に
   
     燃えるあのひとみ 素肌に纏いながら

   
     南から 忘れる為の風が 私を運ぶ


 「夢回帰線」で一番印象的な表現だと思いますが、「裏窓」かい?と、つい言いたくなるのだな。

 この部分は、谷山浩子的言葉の世界では
 「(出て行くあなたを)背中に感じながら 気にもとめないフリをして テレビの画面ばかり見つめてた」
 となるわけですね。『忘れられた部屋で』

 それを洒落て、「裏窓がある」とやるものだから、普通の人には言葉あって意味不明、イメージが不明瞭な歌詞になってしまうのだろう。ちょっとシャレた表現だな、という印象しか残さない。

 まあ、化粧品のCMソングだと割り切ってしまうなら、それで十分なのですけれど。

 ここの意味は、「私を通り過ぎていくあなたに背を向けたままだけれども、心の中ではあなたを揺れる気持ちで見送っているわ」ということです。


 それが、岡田的メタファーですので、大多数の方が間違って解釈しているようですが、

   女心揺らして 歌いましょうか 通り過ぎたあなたを見守る為に
   燃えるあのひとみ もう一度迷わせて・・・



 この「ひとみ」は「私」=石川ひとみの名前にひっかけているわけではないだろう。
 この「ひとみ」は、あなた、と呼んでいる男の視線を言っているのです。

 「あなたの燃えるような熱い視線を、(私は)素肌にまといながら、私の躰を通り過ぎたあなたを見送るわ」と言っているわけです。

 オジサン的に言ってしまえば、全身を覆っている黒衣を女が脱ぐと、男は「あんたイイ躰してるね」と欲情にあふれた視線を浴びせる...。

 そういう散文的な表現を岡田さんは「燃える あのひとみ」と言い換えた。
 ところが、これが誤読の始まりとなる。


 「燃えるあのひとみ」のところで、カメラは石川ひとみの妖しいまなざしにズームアップして、ひっちゃんがウインクをします。

 つまり、振り付けさんも誤解しているし、歌手石川ひとみは言われたとおりにやっているし、カメラマン(or ディレクター)も歌詞を誤読している、ということになりますね。
 男の熱い視線が、女の身体を刺すように(ジロジロと)見つめる、というのがここの意味だからね。

 なぜ、このように誤読されるかといえば、歌詞の中に二つの視点があるからです。

 一つは作詞者という第三者の視点。

    涙はきらめく吐息 女心覗けば裏窓がある

 ...この部分は、第三者的な視点で、女の「涙」を見て、その「女心」を推し量っている。

 泣いている自分の涙を、「きらめく吐息」などと言えるのは、手鏡を見ながら「私って素敵」と思えるナルシスティックな人しかいないでしょう。

 裏窓もそうですね。自分自身の表現でしたら、自分の中にもう一人の小さな自分がいて、自分の背中にある見えない裏窓を開いて、去っていく男を見送る、という谷山浩子の「そっくりハウス」的世界になってしまう。

 作詞者という第三者の視点だという所以です。


 もう一つは、女である私の視点。

   罪の深いあなたを見送る為に 燃えるあのひとみ 素肌に纏いながら

 私の躰と心を燃え上がらせたあなたを見送る、わけです。


 こうして、2つの視点が混在しているので、「燃える あのひとみ」を読み間違えるのだと思う。
 このようにみんなで誤解して、いいのかい!これで、というのが岡田さん歌詞には少なくない。

 それで、さらにシビアに追求すると、この私という女性はどんな女性なの?と、いうことだね。

    朝焼けに 切ない胸を抱いて 哀しく戯れる
    誰か今 優しい男がいたら 崩れてしまうわ きっと



 こういうことを心の中でつぶやく女性というのは、普通の女性ではない。

 旅人を相手に一夜を共にする女性という姿を想起するはずです。 
 作詞した本人は、もちろん分かって書いているわけだけど...

 でも、歌を聴いている人たちは誰も気づきはしない...それが、岡田さん的なメタファーですね。


 ユーミンや谷山浩子らニューミュージックの特徴は、直接的な表現だと、前に書きましたが、実はこのちまちまとディテールを書くことで成立しているものがあるのです。

 それはいったい何かといえば、「ディテールが、リアリティーを支える」ということです。

 ユーミンや谷山浩子らの歌は、このリアリティーによって、若い人たちに支持されたという部分が大きい。指し示すものが身近で明瞭だから、漫画育ちの頭でも理解できる。

 岡田冨美子さんの場合はその逆で、メタファーを多用し、人間のもつ猥雑さを覆い隠そうとしている。
 そういう意味では、岡田さんの歌詞は、きちんと理解されていないものがいくつもあります。
 聴く人に分からない歌だから、化粧品のCMソングでも問題にならないのではないかな。

 この歌詞は有り体(てい)に言ってしまえば、シルクロードの遊び女(め)の歌です。


 それが分かると、この曲作りが、なぜちぐはぐなのか分かるような気がするだろう。

 この歌は、ロマンチックな岡田さんが想像している「砂漠の哀しい女」の歌なのですが、もとより岡田さんはそのような女性の心情が分かるほどの経験などありはしない、と思います。

 シルクロードの交易地は人種のるつぼですから、そこで旅人と一夜を共にする女で、旅の男に後を引くようでは生きていけない世界だと思う。文化の違いもあるのですが、彼ら彼女らは極めてドライです。生きていくための立派な職業としか思っていませんから。

 それと、この歌の舞台はイスラムの世界です。シルクロードは、東の新彊(しんきょう)ウイグル自治区から、北インド・パキスタン・ペルシャ(イラン)そしてトルコまでイスラム文化圏ですね。

 イスラムでは特に女性の性に関する戒律は厳しく、たとえばレイプのような事故であっても未婚の女性が性的交わりをしたとなると、さらし首の有罪となり、みんなから石を投げつけられ、家族から除籍され、親類によって抹消されてしまいます。

 親または兄弟は、一族郎党、家の子諸従の男たちを結集して、相手の男を地の果てまで追いかけて殺します。
 これは掟であり、それをやらなければ家族の名誉は回復しない。
 夫に先立たれた妻は、生きたまま夫の亡骸と一緒に火葬されてしまうこともある。

 厳しい気候風土に生きる砂漠の民に生まれた宗教は、それに見合う厳しい掟をもっています。


 そのような文化圏では、
 「誰か今 優しい男がいたら 崩れてしまうわ きっと」
 という、メロウなメンタリティーは、ほとんど成立し得ない。

 娼婦という職業は人類の誕生の昔からあって、厳しい掟の通風口として機能しているから、暗黙の公認がある。漢人、モンゴル人、インド人、ペルシャ人、トルキスタン人、アフリカ人、ギリシャ人、ローマ人など異民族の男たちが通り過ぎる彼女たちは、容赦なくドライなメンタリティーしかはぐくみ得ない宿命に生きている。

 
 ですから、この歌は現実の事実というものではなく、想像された物語でしょうね。
 久保田早紀の「異邦人」も同様ですけれど、リアリティーは希薄です。

 岡田冨美子さんの歌詞は、このように最初からリアリズムを捨てたところで成立しているし、メロディーやリズムの陰に歌詞は隠れてしまうのを分かっているので、所々に印象的なフレーズ(アイキャッチ)を置けばいい、と割り切っているようなところがあります。


 ところで、山口百恵は歌い終わった後ニコリともしないのですが、内面性の人ですから、曲に入りきってしまうからでしょう。なりきれる人。


 石川ひとみの場合は、歌い出す前とか間奏の時にふと可愛らしい地の表情が出てしまって、入りきらない人なんだなということが分かります。曲の前半部ではほほえみが浮かんでいる。

 「アモーレ」の間奏の時も、可愛らしい笑顔が、曲のムードにそぐわない感じがしました。

 だとすると、ひとみちゃんは、基本的にこの系統の歌は没入できない弱点があるかなと思います。

 こういう曲は山口百恵のように、なりきってしまわないと迫力が出てこないものです。
 地のままでは説得力というか、その世界に聴くものを引きずり込むだけのものが表現しきれない。

 この歌詞は、おとぎ話的な「砂漠の哀しい娼婦的心情」ですから、ひとみちゃんに「なりきって!」というのは無理なのかもしれないのですが、あえて演技をしてでもそうしないと、聴く人を引き込めないだろうと思う。

 まあ、YouTube でひっちゃんを知った人には、この「夢回帰線」でもけっこうショッキングな映像かもしれないけどね。

 ここは、フリを最小限に抑えて、山口百恵のように目だけで演技した方が、ひとみちゃんの妖しいまなざしが生かせたのではないかな?

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