「長そでのカーディガン」にみる女性の記憶

 石川ひとみ「長そでのカーディガン」(1) がないとやはり片手落ちの感がありますので、後追いの感じになりますが少し付け足しておきます。
 『なごり雪』の中で、「どちらかが上京したとしても残された方には寂しさがある」と書きましたが、その寂しさの感覚は程度の差こそあれ、男性と女性では大きな違いがあります。

 女性的な感覚の良い例が石川ひとみ『長そでのカーディガン』であり、
 ・つないだ手のぬくもり 忘れないから
 ・つないだ手のぬくもり 忘れていない

 というこの曲のキーワードが女性の気持ちを、さりげなく表しています。

 以前に、男の思考は「目的志向」であり、女性は「プロセスを重視」ということを述べていますけれど、プロセスというのは継続性の上に成り立っています。
 女性性の思考の特質のひとつはこの「関係の継続性」というものであり、ほとんど本能的なレベルで重視するということがあげられます。
 この傾向は、もちろん男の子にもあって、男女の脳の性差が明瞭になる思春期の頃までは保持しているのですが、それ以降徐々に失っていきます。

 私の記憶でも、小学生の時の初恋の女の子が中学校進学で特別なエリート中学校に進んでしまい、世の中真っ暗、こころに風穴という空虚感に襲われたことがあります。
 でも、中学生になると、別の小学校から合流してきた新鮮な同級生の女の子たちが出現して、あの娘が好きになったりこの娘が良くなったり、上級生だったり下級生だったりと、すっかり浦島太郎状態。

 それでも、2、30年も立った後に、夜半の目覚め時など不意に初恋の終わりの記憶がよみがえってきて、その頃感じた深い喪失感に見舞われたりします。少しも癒えていない空虚なものがある。
 そして、女性にとって何よりも耐え難いのはこの深い喪失感なのだろうな、と想像することがあります。

 ですから、
 「つないだ手のぬくもり 忘れないから」という言葉は、あなたのことを忘れないから、という意味であり、その裏には「私のことをいつまでも心の中に留めていてもらいたいし、好きでいてほしい」という願望がじつは込められているのでしょう。

 そして、
 「つないだ手のぬくもり 忘れていない」という言葉は、ただ単に「忘れていない」という事実を述べているだけでなく、「あなたも私のことを、忘れていないでしょうね」という、リマインダーのようなものにまで感情的に外延されている、ということになろうかと思う。

 そしてさらにいえば、あべ静江みずいろの手紙」(1973年 作詞:阿久悠/作曲:三木たかし)の前振り「そして今でも愛してると言って下さいますか」という気持ちも、そこには含まれているはずだと。それが継続性、ということです。阿久悠は、そういう女性の心情を理解して書いている。

 これをひとみ流に言い換えれば、「そして今でも 好きでいてくれるかしら」くらいになるかな。

 『長そでのカーディガン』は「HOME MADE-ただいま-」収録曲ですから、作詞者:石川ひとみとしては、そこまで意図して書いているのかどうかは分かりません。
 けれども、ごく普通の女性感覚では、そういうものを相手の男に突きつけるのだ、と考えるべきかなと思う。

 ところが、男の記憶というのは基本的に非継続的なものであり、いってみればまだらボケのようでしかない。以前に引用した「黒の舟歌」の歌詞のように...

 たとえば男は あほう鳥
 たとえば女は 忘れ貝

 アホウドリですからね。「つないだ手のぬくもり、忘れていない」けれども、

 朝の電車で、カバンを持った手の甲に偶然!触れてしまった見知らぬ女性の尻の感触とか、
 会社のエレベータで、部下のOLが「おはようございます!」と言いながら、おっぱいをぐいと押しつけてきた二の腕の感覚とか、そういういけない手の記憶の方が強い印象として残ってしまうのだよねェ。
 それで、女性が大事にしている(恋愛)感情などは、すっかり忘れているのが男っていうヤツだな。

 そういう直接的な感覚の意味ではなく、言葉が表象している「あなたのことを忘れない」ということで言えば、男の場合は「永遠の瞬間」としか言えないようなイメージとして記憶する、ということが多いようだ。
 普段はほとんど想い出さないけれど、そのイメージは一瞬で自分をその現場に連れ戻す。
 時間というものを越えており、いつまでも光り輝く、時を越えた価値をもつ一瞬なのだといってよい。

 別ブログで、そういう女性の記憶を書いたことがありますけれど、八ヶ岳で見た妖精石川ひとみの記憶もまた、永遠の瞬間のひとつだったのでしょう。
 あのとき、会場からビデオカメラでも回していれば、あるいはカメラで写していれば、こういうイメージ、と示すこともできるのかもしれないけれど、テレビや舞台では決して見られない表情とそのイメージ。二度と掴まえる事のできないイメージだからこそ、限りなく惹きつけられていくものがあるのでしょう。

 けれども、女性の場合、そういうものを見るということはあまりないようだ。画家とかカメラマンは圧倒的に男が多いのは、イマージュを見る能力が男は長けているという理由も、ひとつ考えられるだろう。
 女性的心性では、関係の持続性の方がより重要な関心事ですから、私は忘れない(あなたも忘れないでね!)ということになる。

 でも、アホウドリの男としては、何かしら精神的な負担を感じて、「俺のことなど、忘れてくれ」といいたい気持ちがどこかにあるはずだ。
 淡い恋心ならばそれでいい。うまくいっている恋愛関係なら、やはりイイだろう。
 けれども、そういう延長上では人生が展開していくものではない。

 すると、この女性的心性が、男にとっていつしか両刃の剣にもなり得る。
 時には、「俺のことはほっといてくれ」といいたくなることもあるだろう。

 この歌が違和感なく成立するのは、あくまでも母と子を対象にしたアルバムであるから、なのでしょう。そのような感覚が生きている世界の歌である、と。
 大人の男が、この歌を聴いても「ああ、メルヘンの世界で、石川ひとみ的世界だな」とは思うけれども、メイン・テーマである「忘れないから → 忘れていない」という関係持続性には、さほど重い意味をかんじないだろうな、と思う。

 けれども、ファミリーは母親と子だけでなり立っているわけではなく、父親もいるのだから、男はこのような女性の根源的な欲求・願望をしっかり理解して、名実ともにファミリーの一員としてつながっていなければ家庭はうまくいかないものです。

 女・子供向けの歌だと、安易に考えない方が良いでしょう。女性的に見れば、重い歌なのだな、と。

 女房に言われたのであれば、「うるさい」の一言で逃げてしまう場合もあるかと思うけれど、石川ひとみさんが歌っているのですから、素直に聞けるのではないかな。

 何度も聴いているうちに、良いおとーさんになれるかも。

 かくいう私はアホウドリですから、「芸術への愛が、人生への愛を失わせる」というパスカルの言葉をもじって、「(詩的)言葉への愛が、(日常的)妻の言葉への愛を失わせる」とでも...。
 救い難し、なのだけどね。

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