石川ひとみ 『夢回帰線』 (1985.05.05)
作詞:岡田冨美子、作曲:松田良、編曲:チト河内
歌詞もタイトルも、曲も歌唱も良い歌なのに、なぜヒットしなかったのだろう?
作詞:岡田冨美子、作曲:松田良、編曲:チト河内
歌詞もタイトルも、曲も歌唱も良い歌なのに、なぜヒットしなかったのだろう?
ひとことでいえば、いろいろとちぐはぐなのかなと感じます。プロモーションが問題なのでしょう。
久保田早紀「異邦人」が大ヒットしていますので、その後にできたこの曲は二番煎じの観を払拭したいという思惑があったのかもしれない。
同じロングのカーリーヘアでも、久保田早紀はお嬢様風で、お嬢様風なドレス姿でした。男の子のロマンチック願望を十二分に受け止めて、夢のあるイメージを作り上げています。
ちょっと小太り気味でしたが、終始うつむき加減にピアノを弾いている姿は、スタイルや歌唱力などの難点を隠してお嬢様アイドルとしていい演出となっていますね。
石川ひとみ 『夢回帰線』の曲では、「異邦人」の印象的なマイナー転調はありませんが、伸びる高音で「女ごころ覗けば 裏窓がある」と、聞いていてスカッとするフレーズがあり、甲乙つけがたい良い曲に仕上がっていると思える。
でもヴィジュアルな面は、どうもちぐはぐな感じだな。
意気込みすぎているのだと思う。
どうせならば、化粧品のCMイメージのまま歌ってしまった方が良かったのに、と。
TVや舞台用には全然別のイメージを打ち出したかったのでしょう。
カーリーヘアが少しやり過ぎ
衣装のコンセプトがシルクロードでもなく、日本でもなく不明瞭
フリが石川ひとみには似合わないアクション
ロマンチックな要素もエロスもなく、
いけない女にしては、笑顔がかわいくて、どこか合わない
それで、岡田冨美子さんの歌詞も、シルクロードを舞台にしながら、内容は日本情緒。
プロデュース問題で取り上げた時は「裏窓」という表現をすこし冷やかしてしまいましたが、岡田さんが表現したかったことは極めて日本的な「後ろ姿の風情」なのですね。
1970年(昭和45年)11月歴史学者、会田雄:著 『日本人の意識構造』が話題になりました。
会田雄次は夏目漱石の『心』を取り上げて、
青年がある女性に求愛した。ところが「いや」といって、背中を向けて部屋から逃げ出した。
ただ、出て行くときに、襖に手をかけて、顔だけを振り向けて「わたしも、あなた好きよ」という。
「背の表情、後ろ姿の表情を日本人ほど深く感じとる民族がいるだろうか。
表は固く閉ざしていても、枝折戸(しおりど)を開けておくというのが日本人の癖である。
愛を受け入れるか否かという問題に限らず、すべての人間関係において」
...と述べている。
大衆歌謡の作詞をする者としては、日本人の性行を知っておくということは必須の課題ですから、岡田さんは当然このベストセラーを読んでいたかと思う。あるいは、話題の中で、知ったかもしれない。
「表面は強がっていても、心の中では自分の心と躯に火を点けて去っていくあなたを恨めしく見送りたい」
...そういう女性の気持ちを表すために、枝折戸ならぬ「裏窓」と現代的あるいはこの地域にふさわしく言い換えているわけです。

ですから、シルクロードという過酷でドライな文化圏を舞台に、非常に日本的な心性を織り込んでいるわけで、これもちぐはぐに感じるところです。文明の衝突が顕在しているように思う。
岡田さんの歌詞は、たとえば「南から 忘れる為の風が 私を運ぶ」というように細かいリアリティーにこだわらない作風がみられますけども、人生経験よりも想像力が克ちすぎているきらいがあります。
このような歌詞が前提としてあり、意味的なものをそれからくみ取ってプロモーションのイメージングをしていくわけですから、岡田さんほどの教養をもっていない若いスタッフがコンセプトの明瞭でないイメージしか持てなくとも、しょうがないかなと思う。
私としては、ピアノは「異邦人」の二番煎じになるから、せめてウードを手にして、ハイチェアーに軽く腰掛けて歌う、というスタイルが良いかなと想像しちゃうね。
真っ赤なロングドレスを着て、それをほとんど隠してしまうくらいの黒くて薄く透けるショールをはおり、イントロの一部くらいウードをつま弾きながら、
早紀ちゃんのようにうつむき加減で歌って、「燃える あのヒトミー」で顔を上げて遠くを見るように、
「もう一度 迷わせて」で静かに目を閉じていく、のだ。
あっ、ウインクはいらないよ。
できれば、目を閉じるときに、愁眉(眉の根元にしわを寄せる)の表情をつくるとイイかな。
シルクロードのいけない女が何を思い、何を想像しているのかな?という印象を表現できたら、
石川ひとみ、いい女!って、惚れ直しちゃうだろ?
この歌は、目を閉じて聴いた方がロマンチックもエロスも湧いてきそうだね。
久保田早紀「異邦人」が大ヒットしていますので、その後にできたこの曲は二番煎じの観を払拭したいという思惑があったのかもしれない。
同じロングのカーリーヘアでも、久保田早紀はお嬢様風で、お嬢様風なドレス姿でした。男の子のロマンチック願望を十二分に受け止めて、夢のあるイメージを作り上げています。
ちょっと小太り気味でしたが、終始うつむき加減にピアノを弾いている姿は、スタイルや歌唱力などの難点を隠してお嬢様アイドルとしていい演出となっていますね。
石川ひとみ 『夢回帰線』の曲では、「異邦人」の印象的なマイナー転調はありませんが、伸びる高音で「女ごころ覗けば 裏窓がある」と、聞いていてスカッとするフレーズがあり、甲乙つけがたい良い曲に仕上がっていると思える。
でもヴィジュアルな面は、どうもちぐはぐな感じだな。
意気込みすぎているのだと思う。
どうせならば、化粧品のCMイメージのまま歌ってしまった方が良かったのに、と。
TVや舞台用には全然別のイメージを打ち出したかったのでしょう。
カーリーヘアが少しやり過ぎ
衣装のコンセプトがシルクロードでもなく、日本でもなく不明瞭
フリが石川ひとみには似合わないアクション
ロマンチックな要素もエロスもなく、
いけない女にしては、笑顔がかわいくて、どこか合わない
それで、岡田冨美子さんの歌詞も、シルクロードを舞台にしながら、内容は日本情緒。
プロデュース問題で取り上げた時は「裏窓」という表現をすこし冷やかしてしまいましたが、岡田さんが表現したかったことは極めて日本的な「後ろ姿の風情」なのですね。
1970年(昭和45年)11月歴史学者、会田雄:著 『日本人の意識構造』が話題になりました。
会田雄次は夏目漱石の『心』を取り上げて、
青年がある女性に求愛した。ところが「いや」といって、背中を向けて部屋から逃げ出した。
ただ、出て行くときに、襖に手をかけて、顔だけを振り向けて「わたしも、あなた好きよ」という。
「背の表情、後ろ姿の表情を日本人ほど深く感じとる民族がいるだろうか。
表は固く閉ざしていても、枝折戸(しおりど)を開けておくというのが日本人の癖である。
愛を受け入れるか否かという問題に限らず、すべての人間関係において」
...と述べている。
大衆歌謡の作詞をする者としては、日本人の性行を知っておくということは必須の課題ですから、岡田さんは当然このベストセラーを読んでいたかと思う。あるいは、話題の中で、知ったかもしれない。
「表面は強がっていても、心の中では自分の心と躯に火を点けて去っていくあなたを恨めしく見送りたい」
...そういう女性の気持ちを表すために、枝折戸ならぬ「裏窓」と現代的あるいはこの地域にふさわしく言い換えているわけです。

ですから、シルクロードという過酷でドライな文化圏を舞台に、非常に日本的な心性を織り込んでいるわけで、これもちぐはぐに感じるところです。文明の衝突が顕在しているように思う。
岡田さんの歌詞は、たとえば「南から 忘れる為の風が 私を運ぶ」というように細かいリアリティーにこだわらない作風がみられますけども、人生経験よりも想像力が克ちすぎているきらいがあります。
このような歌詞が前提としてあり、意味的なものをそれからくみ取ってプロモーションのイメージングをしていくわけですから、岡田さんほどの教養をもっていない若いスタッフがコンセプトの明瞭でないイメージしか持てなくとも、しょうがないかなと思う。
私としては、ピアノは「異邦人」の二番煎じになるから、せめてウードを手にして、ハイチェアーに軽く腰掛けて歌う、というスタイルが良いかなと想像しちゃうね。
真っ赤なロングドレスを着て、それをほとんど隠してしまうくらいの黒くて薄く透けるショールをはおり、イントロの一部くらいウードをつま弾きながら、
早紀ちゃんのようにうつむき加減で歌って、「燃える あのヒトミー」で顔を上げて遠くを見るように、
「もう一度 迷わせて」で静かに目を閉じていく、のだ。
あっ、ウインクはいらないよ。
できれば、目を閉じるときに、愁眉(眉の根元にしわを寄せる)の表情をつくるとイイかな。
シルクロードのいけない女が何を思い、何を想像しているのかな?という印象を表現できたら、
石川ひとみ、いい女!って、惚れ直しちゃうだろ?
この歌は、目を閉じて聴いた方がロマンチックもエロスも湧いてきそうだね。
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